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本当に忙しい??第二回

本当に忙しいの??

上記の続きを書き綴りたいと思います。
忙しいという姿についての考察です。

本当に仕事が忙しいのか?
実は不満があるだけで忙しいわかではないのではないか?

そんな仮説を自分自身の経験則からたてて、社内で色々とヒアリングしました。

忙しいかい?と訪ねると、光の速さで忙しくて目が回ってるとの答えw
そうか。そうか。と相づちをうちつつ、どんな作業がたまっちゃってる?と質問を追加しました。
そうしたら、あれとこれとあれ、という感じで何個か案件の説明をしてくれました。

そこで意外な空気が…。
言った本人が、あれ?意外に仕事すくなくね???????
と、明らかに察している空気になったのです。

その空気に耐えられなくなったのか、ただ、あれもこれも調べたりしなくちゃいけないとか、しまいにはクライアントに電話しなくちゃいけないとか、そんな部分までタスク化するというw

たぶん、苦痛な気持ちと実際の現実の仕事の量のギャップに気づいて、あわてて保身のために追加していって、頭が整理されていなからもう日常業務的なものまでが重い仕事に入ってしまうという状態になってしまったのでしょう。

案の定、「量」という尺度ではかったときには、たいして忙しくなかったんです。
これは思っていた通りで安心しました。
ただ、真正面から受け止めなければいけない現実も露呈しました。

それは、会社や仕事に対する不満が、MAXだという現実。
これはこれで物凄い重いことですよね…。

ただ、 そういう現実が色々わかるのはとってもいいことだと思うので、まずはそんなに忙しくないけど、何か不満につながるような要点がある。だからそれをつぶしていけば、今の仕事量をこなせているのに元気もりもりになるはずだから、その問題を探してとにかく解決して元気モリモリになろうよということを伝えて色々と現状の把握をしていきました。

スタッフが抱えていた問題は、ずばり頭を休ませてほしいというところでした。体より頭の休息を欲していたんです。
話していて感じた事なのは、やっぱり、頭を休ませるタイミングがないの環境が如何にストレスうんでいってしまうのだということでした。とくに僕らの仕事はクリエイティブな仕事は、あまりにも連続でアイディアとか知恵の部分を酷使すると、あっというまに脳に疲労がたまってきて極端にストレスがたまっていくのだと思います。

本来なら、仕事がおわってからの時間。あと土日だったりのお休みの時間。
その時間を使って頭をきりかえ、そして休めていく。
社会人の皆さんはそれを当たり前のようにやられています。僕らもそれは例外じゃないのです。

ただ、本当にクリエイティブの仕事は頭を休ませるのは難しいのです。
たとえば雑誌やドラマや音楽、リラックスするためにみていても、デザインのアイディアに直結する情報探しを常にしている緊張状態を続けてしまうのです。わざわざそんなことをしてしまう…それが、クリエイターという生きものなのです。常にオンの状態を自らつくってしまう上に、スイッチの切り方をまったく知らないのです。

あとは本人に常に緊張状態を自分でつくっているという自覚症状も全くないということも特徴です。
なので、土日や仕事のあとのリラックスで解決できてなくてどんどん頭の疲労とストレスがたまってきていることにも気づけないのです。
これは残念ながらどんなに第三者が口で説明してもわかってもらうことはできないと思います。それはそうですよね…。本人に自ら墓穴をほっている自覚がないのですから……。

スタッフにそんな話しを説明して少し仕事をセーブして自分の時間を大切にしなさいという話しをして残業禁止令なども発令しましたが、わかったわかったと口ではいいつつ、本人に自覚症状ないのでまったくの禁止令などどこ吹く風のシカト状態で仕事しつづけてました。←どんだけ僕の威厳ないんじゃという話でもありますがwww

ただ、間違いなくダークサイドまっしぐらで、イライラとテンパリはさらに増幅という日々がつづきました。

ああ、これは口でいってもだめだ。
さとりましたねw

でも、そんなだからこそ、やはりこれは周りの人間がケアするしかないのだと思いました。
いま色々試行錯誤です。ときに強権発動し、リラックスタイムをつくらせたりと模索中です。
お盆の休みも今年は長めに設定しました。なんとかここでぐいっとリラックスを癖にさせたいと思ってます。

ちょっと脱線してすみませんw
すべてを忙しいでくくるのではなく、こうやってきりわけていくと大きな問題があったりはしますが、目的はみえるので対処はしやすくなると思います。忙しいという言葉は本当に魔法の言葉。すべてをこれに紐づけてしまえばいいという雰囲気にすぐなってしまいます。本当に忙しくて苦しい部分は必ずあります。だから、色々と棲み分けてとらえ、問題として定義してきちんと解決して、本当に忙しいという部分を正面からうけとめていけるようにしなくてはいけないと思いますし、人間は結構すごくて、かなりの量の仕事を処理苦痛なくできるもの。そのためには心身が元気モリモリじゃないといけないので、その大切さをみんなで共有して助け合うことが大事なのではないかなと思った今回の出来事でした。

本当に忙しいの??

久々の日記です。
今回のテーマは「忙しい」です。

この忙しいというのは非常に重たいテーマ。
自戒もこめて考え方を整理整頓していきたいなと思いました。

そもそもどういう状況を忙しいというのか考察してみたいと思います。

たくさん仕事があってこなしきれないとき?
残業が多くなったとき?
休みがとれないとき?

上述の環境になった時は、恐らくどんな人でも忙しいと感じるのだろうと思います。
ただよく考えてみたいです。本当に忙しいのか?と。

そもそもたくさん仕事ってとはどのくらい?
残業はどのくらいになったら多いの?休みがとれないってどのラインからなの?

これらの要素って、結構個人の主観による判断が多いですよね。だから、人それぞれは当たり前だし、そもそも同じ人間でも体調やメンタルなどバイオリズムによってかなり主観判断基準というのは変化してくると思うんです。 この主観基準によるジャッジというのは本当に恐ろしいものだと思います。個々に判断がだされているので、物凄いあいまいなまま感情だけがむき出しのまま形成されていってしまうんですよね。

さらに、個々の感情が干渉しあって色々と増幅していってしまうんですよね。
例えば、自分自身がどんなに忙しいと感じても他人からみたらそうでもないときもある。逆もまた然り。こういったギャップの感情は負の感情となって「負の雰囲気・流れ」として増幅されていき、負の相乗効果で個々の感情は更に影響をうけるという正に連鎖が始まってしまうんですよね。

第三者の感情がプラスされて、感情の流れを雰囲気というもので構成していってしまうので厄介なのです。その人の価値を判断する指標にガチガチに影響してしまうからなんです。なので保守的な感情もうまれ、もうカオスですよね…。

まったく考えがまとまらないし、考えれば考えるほど深みにはまっていくのが「忙しい」という感覚なんだなと思います。

ただ、最近は若干視点をかえることに成功したことがありました。

社内で、物凄い「忙しいオーラ」が充満して、呼吸をするのもおこがましいというくらい重々しい雰囲気の時があったんですよね。なんでこんなにやれどもやれども仕事が終わらないんだと全員がパニックになっている感じでした。

あまりの惨状に、ちょっと待て!まず一回やっていることを整理しようぜ!と自分の中で警笛がなりました。そこで強制的に睡眠をとって冷静になったところで状況を確認してみたんです。

そうしたらどうでしょう?
タスクを箇条書きであぶりだした時のすくなさったらもう少なすぎて目玉が飛び出しましたね…。
全然忙しくないじゃん!
赤面ものでした。実は全然仕事量が少なかったというオチでした。

ようは、頭が疲れちゃって休む間をつくらず連続してタスクをこなし続けていた関係で疲労が蓄積して息切れしているだけだったんです。 そうです。ようは眠かったんですよね。ねたかっただけなんです。その希望が叶えられないストレスがパニックをよび忙しい病に発展してしまっていたんですね。

簡単にいってしまえば、睡眠をとりたい願いがかなえられない地団駄踏みたい気持ちを「忙しい」という表現方法で外にぶちまけていただけなんですよね。

まあ人間ですから、ちょっと休憩もしたいですし睡眠もとりたいというやつです。
なので仕事の純粋な量というよりは、連続してやり続けているストレスが問題だったわけなんですよね。

でも忙しいと不満は同義でないので、切り離した方がいいですよね。
切り離すと物凄いらくになれるのだな〜って実感しました。
休みさえ入れれば、全然忙しくないないから、まだまだ余裕だったんだな〜って思った時の安堵感っていったらもうヤバイですよね♪本当に心からよかった〜って思いました。

ただ、厄介なのが社長の自分がそんなださださ忙しい病に感染してしまったが故に、スタッフにも負の感情がびんびん伝染してしまっていて……。連鎖が連鎖を呼び会社の雰囲気は最悪の全員忙しい忙しいテンパル騎士団状態になってしまったという…。これはかなり反省しました…。

でも、物凄い忙しいと思っていたら、実は全然忙しくなかったんだってわかったときのお笑い感と安堵感。
反省しつつも、凄い新鮮な感覚でしたww

なので、こんな新鮮な感情は是非共有したいということで、早速社内でも忙しい病の検診を始めて見たのです。
案の定物凄い効果ありましたw

何をしたのかというと…

まずは社内でヒアリングを開始してみました。
その後については、長くなってしまったので次回に綴りたいと思います。

言葉の一人歩きは恐ろしい。

日本語というのはとても万能ですよね。
ちょっとしたニュアンスの違いも多種多様な単語を駆使して表現が出来る物凄いクオリティの高い言語の一つだと思います。ただ、そんな長所も最近はガッツリと短所にかわってきていると感じることも少なくないですよね…。

今日はそんなこんなで、言葉についてちょっと考えてみました。
何故そのようなことを思ったのかということなのですが、前回の日記でも少しだけ書かせて頂いたのですが、今年に入ってうちの会社はデザインコンペが続いているんです。コンペに参加して作品をつくっている時に凄くこの「コンペ」という言葉の使われ方に違和感を感じてしまったことがきっかけでした。

コンペというのは、wikiによると「competition=競技会」と定義されています。あと、優れたものを選ぶことともされています。優れたものを選ぶためにデザインをそれぞれにつくらせて競わせる。デザインコンペとは、簡単にいうとそういうことになるんですが、最近はこれってコンペなのかな?と思う事がよくあるんです。

では、実際にどんなときに違和感を感じているかということを簡単にまとめますね。

まず、与えられる情報が各社平等でないことが非常に多いという現実です。ある情報を知っている会社があったり知らない会社があったりという状況の中で平気でコンペが行われたりしているんですよね…。コンペとは上述のように優れたものを競わせるための機会なので、正当にすぐれたものを品評するには決定的に守らなくてはならないことがあります。それは、同じ条件でつくらせるということです。同じ条件でつくらせてはじめて優劣を判断出来るということは誰でも理解できることだと思いますが、そんな簡単な事すら守られない…最近のコンペではとても多くなってきている事象の一つなのではないかと思います。

各社、やっぱり仕事はほしいですよね。コンペは決まれば大きいですが、コンペの費用がでないのが当たり前になっている昨今では落ちたときのダメージは図り知れません。そのような状況下におかれていれば担当営業は少しでも有利にコンペを運べるように、個々に情報収集や裏取りに奔走するようになります。コンペは同じ条件であ争ってこそ成立するというフェアな精神はすっとんでいってしまうんです。

でもその心理はごくごく当たり前だと思います。会社を思う、協力してくれる人の事を思う、そういう思いが強くなればなるほど、有利になる条件はひとつでも引きだしたいと思う気持ちは普通に出てきてしまうと思うんです。

なので、できればコンペを発注する依頼者の方が、強い意志をもって対応して「同じ条件」という、コンペの環境づくりを徹底して欲しいと思うのです。依頼者にはその義務があると思います。その時のノリや各社の担当の人間との蜜月度合いで情報がかわるような環境しかつくりだせないのであれば、コンペという名のもとに争わせるのはやめたほうがいいと思います。

コンペといってしまえば、何となく格好がついて、参加者も簡単に集うことができるし、費用をかけずにアイディアを集うことが出来る、という安易な発想でつかわれている。よく言えば広義の意味でコンペという言葉が浸透し、わるくいえば何でもありの魔法の言葉化してしまっているんですよね。言葉自体が一人歩きしてしまい、意味が軽くなっている分、誰でもコンペコンペといいだす状況がとても増えていると思いました。

このような魔法の言葉ができてしまうと、いろいろなことをうやむやにして押し通す隠れ蓑がうまれ、不条理なことができてしまう環境をつくってしまうんですよね…。最近は担当者さんが独断で業者などをかえたいと思いたち、上司を説得するためだけの材料集めのために開かれる名ばかりコンペも多く、僕も実際にコンペに勝ったにも関わらず、話しがたちきえてしまった案件も結構ありますので…。

はっきりいわせてもらうと、依頼者側のモラルが破綻してるんですよね。しかもその自覚がまったく本人達にないという最悪な状況だったりするんですよね。コンペの費用ひとつにもそんなスタンスはありありとでていますよね。コンペの費用なんて払わないのがあたりまえ。何故なら仕事をあげるんだからね。業者は誠意を見せる義務がある。というスタンスなんですよね…。

コンペならコンペ。
アイディアだしの協力なら協力。
素直に話し合って取り組める環境がくるといいなと本当に思います。

そうすればもっと良いものも沢山うまれて良い循環くるはずなのにな…と青臭いことを考えてしまった今日この頃でした。

自分のこと。

この前の週末、アート系のwebサイトとメルマガ用のだったんですけど、インタビューをうけてきました〜。

すでに現場にいらっしゃる方がどんなことを考えているのか?
どんな仕事を実際にしているのか?

そんなことを今アートやデザインなどを勉強している方や興味をもっている方に知ってもらい、もっと身近にかんじてもらいたいというコンセプトでの企画でした。僕自身とてもその趣旨に共感がもてたので、思い切ってインタビューをうけることにしました。ちょっと恥ずかしいので最初はどうするか考えてしまいましたがw

今までも雑誌などでインタビューというのはあったのですが、それはあくまで作品についてというテーマで、自分という「個人」を語るものではありませんでした。だから今回はとっても不思議な感じでした。

インタビューの前日に、どんな事を話しようかな〜って色々考えて思ったことがありました。
それは、自分の事って意外に言葉にするのが難しいなということでした。

客観を表現するというのは意外に普段の生活でしていることなので身構えることがないんですけど、主観であり、ターゲットが自分というのは機会がないので、表現するのに本当に苦労しました。インタビューもかなり内容が前後した発言になったりと、もう素人感満載でした…。

そこで、自分の考えてることであったり、そもそも自分のことを言葉で表現できるように少ししていかないといけないなと思った次第です。そういった意味合いでも、ブログというのは有効的なツールだなと思いました。もっと積極的に更新して、表現を磨いていきたいと思いました。

さて、これからどんなテーマで日記をエントリーしていこうか、課題を考えてみました。

  1. どんなきっかけでデザインを始めて、どういうプロセスでデザイナーになったか?
  2. 何故独立して起業したのか?
  3. 自分のビジョンとミッション?

こんなところを今後まとめてエントリーできればと思います。
まあ、すぐにというわけにはいかないと思うのですが、ちょこちょことww
上述の課題の中でもビジョンとミッションというテーマは自分としては結構大切にしていきたいところなので、楽しみです。

ということで、自分のことについては随時日記するということで、
少し話を変えますね。

今回アートを主体にされている方がインビュアーさんで色々と話していて思ったのは、情報をアウトプットするプロセスが自分は偏っているなということでした。

いわゆるプロのデザイナーというのは、商業デザインという中での活動がメインになると思います。商業というだけあって、デザインするものは、企業さんや団体さんなどの、広告であったりWebであったりカタログやポスターであったりします。それと、デザインするための商材という存在が必ずあり、且つ、デザインするための目的が最初からあるんですよね。

例えば、僕らは、Aという企業が開発したBという商品を○○のターゲットに対して訴求したい。そのための広告とキャンペーンwebを展開したい。といったオファーを受けたりします。こういう形でオファーをうけるということは、デザインをするための商材(A社と商品B)と○○という層に対しての訴求したいという目的がすでに発生しているんです。

最初に定められた目的に対して、それを達成するためにはどんなデザインにしなければいけないのか?またはどんなアプローチ方法をとればいいのか?というところに知恵を絞って取り組んでいく訳なんです。

その他にも

どうやったら、インパクトを与えて注意喚起をしてもらえるのか?
どうやったら、爽やかで安心なイメージをあたえることができるのか?
どうやったら、サービスや商品についての理解度を促進させてあげることができるのか?

こんな感じで、常に目的から、それを確実に達成するための手法であり方策を検討して、デザインというビジュアルに遷移させていくという、意外に色々なことを考えながら頑張っているのが僕がやっているデザインの世界の人間のお仕事です。

この目的から方策を練るというのは、それはそれで本当に難しいことなんです。
なので、それなりに知識も経験も求められますし、正解がないので常に試行錯誤という、道のりもとても厳しいのです。

僕も業界に入って、そんな道のりをひたすらテコテコ歩いてきた訳なんです。お陰様で、学び身につけたことも沢山あったのではないかと思ったりもしています。ただ、その道のりを邁進するがあまり、逆のプロセスに対してのアクションがどんどん出来なくなっていたんだなという偏りに気づいたんですよね〜。

逆というのは、目的も商材も何もない状態から自分の感情だけで何かを生み出すという行為です。
最近の僕は極端にこのアクションをやらなくなっていました。やっていなかったというのは厳密じゃないですね…。
やれなくなっていたが正確な表現かな。

デザイナーになりたての時って、もっと個人作品をつくっていたんですよね…。
色々と制約の多い仕事での作品作りが嫌で嫌で仕方なく、自由につくれる個人作品というのが楽しくて当時は好き勝手に作品をつくりまくってました。でも今は殆ど個人作品はつくってません。これは単純に忙しくなったからということだけではないと思いました。個人作品をつくることに魅力を感じなくなってしまったんだと思います。よりプロとしての考え方が構築されて、自由という行為より目的を達成して人の役にたちたいという意識が強くなって夢中になっていった結果なんでしょうね。

別にそれが悪いとか良いとかっていう話では当然ないのですが、情報をアウトプットし形にしていくという意味では、両方のプロセスに柔軟に対応していけるようにしていったほうが自分としてはもっと良いクリエイションをできるのではないかと、漠然と思い立ったのです。それぞれの側面に良さがありますからね〜。だからよくばりにその両方の良さを自分の中に根付かせていけないかと思ったんです。

そうすれば、今まで出来なかったことも出来るようになるかもしれないと期待感はとてもあります。
上述の自分のことをまとめるというのもその一貫だったりしちゃってます。

個人作品時間があればつくっていきたいです。それで、新しい感覚を磨いていきたいです。
出来たらブログにアップするかな〜。
ブログもがんばるぞ〜!

営業と制作は仲良くない?

結構ドキッとするタイトルで今回は書いてみようと思います。

営業と制作は仲良くないの?
これって結構制作やっている人も代理店などで営業をやっている人もピクッと思わず反応してしまうネタであることは間違いないと思います。何故ピクッとしてしまうのか…。それは物凄くシンプルで、みんな少なからずこの関係で悩みや思うところがあるからなんですよね〜。

で、実際どうなのよ?ということになると思います。
これは、誠に残念ながら
仲良くないですね (´・ω・`)チーン

厳密にいえば勿論気が合う人がいたり、同じ志をもって共に頑張れる人がいて仲良く頑張っている現場も当然あると思います。でも、それは正直人と人の出会いという意味でとてもラッキーな環境にいらっしゃる方だと思います。一般論というか、自分が今まで実際にいた現場だったり、聞いたり見たりしてきた印象では、殆どの現場で制作と営業というのは、双方が理解しあえず埋められない溝がどっぷりとあるイメージですw

営業とひとくくりに書かせて頂いていますが、実はクリエイティブの現場というのは結構役割が複雑です。営業の他にもプランナーやディレクターがいたり、同じ制作でも各セクションが存在したりと、かなり多岐にわたります。では何故あえて営業と書いているのかと申しますと、現場にいる人は結構こういう「営業VS制作」というイメージを強くもっているからなんです。色々な役割が存在し、各役割のプロが集まってプロジェクトとして仕事をすすめるはずなのに…。何故?と思われるかもしれませんね。

何故か?
簡単です。

本当に各役割のプロが集まって進行するプロジェクトなんてなかなかないというのが現実だったりするからです。

ようは単純に人材不足なんです。ここでいう人材不足というのは、単純に人間の数が足りていないと言うことではありません。プロフェッショナルな人が極端に少ないという意味での人材不足です。営業がディレクションやプランニングを兼務する、逆でディレクターが営業するみたいな本末転倒な事が物凄い現場では普通におこってるんですよね…。

名刺に記載されている肩書きは、ディレクターやプランナーなのに、実際は飛び込みの営業をしていたりとか、営業という肩書きなのに企 画を全部たてて、アートディレクションまがいな事までやりだしたりとか、もう役割が混在しすぎて無茶苦茶な会社の方が圧倒的に多いんですよね…。

仕事もとってこれて、
ナイスな企画もたてられる。
それでいて、ミラクルな進行管理ができて、
サプライズなアートディレクションが出来ちゃう

…………………………。

(#゚Д゚)クワワ!
そんなのスーパーマンじゃん!!
天才だよ!そんなことできたら!!

できるわきゃないんですよ…。そんなスーパーなこと…。
でも会社は何故か営業にそんなことを求めるのです。
しかも、何の教育もなしに場数をふませれば何とかなんじゃん的なライトな雰囲気で!!

そんなの無理にきまってるじゃん。
いいですか?もう一度いいますよ。
無理なんですよ。そんなの。

当然ですが、そんなライトでアバウトな環境では、そんなスーパーマンは育ちません。物凄い広く浅くの中途半端マンしか生まれません。会社がそんな中途半端マンに権限あたえちゃってるものだから、中途半端マンは若干自分の足下みえなくなっちゃうんです。そうです。ようは勘違いして自分はいけてる!って思っちゃうんです!そうなるともう大変。べらべら適当に口をだしまくりです。

クライアントさんが頼んでもいないのに良い格好したいがために、激列短め納期を自ら進言したり、制作の工程理解できてないのに気軽に見積とか。もう制作の現場は混乱状態ですよ。カオスですよ!カオス!

中途半端マンは自分がいけてると思っているので、制作が納期それじゃできませんよとか、それ外注さんに頼むから費用かかりますよとか進言されると、プライド傷ついちゃって怒り出して、進言をすべて却下というのが定番コースです。それで制作は全く意味のない徹夜をさせられちゃったりするんですよね…。ちなみに中途半端マンはきっちり夜は飲みに行っちゃったりしてリア充を驀進していたりするのでこれ厄介。

そんな中から信頼関係なんかうまれやしないんですよね。
信頼関係が破綻しているのですから、当然仲良くなれませんということになります。

何だか営業さんをかなりdisってしまっていますが、
実はこれ営業さん全然悪くないんですよ

悪いのは会社というか経営者ですよ。間違いなくね。

こんなご時世、一つの仕事とってくるというのは本当に大変なことです。
そんな中、新規で仕事をとってくるなんて本当に素晴らしいことだと思います。

過酷な環境にある営業に営業活動に専念できない環境しか与えず、人の能力に依存し甘え続ける会社が100%悪いんですよね。会社が悪いということは経営者が悪いということになるんです。

営業って本当に大変ですよ。
自分はデザイナーになるための下積み時代は営業でした。
実際に営業をずっとやっていたのでその大変さは理解しているつもりです。

じゃあ、制作って楽なのか??

めっっっっっっちゃ大変です。
徹夜・休日出勤上等のほぼ肉体労働です。
ほんとうううううううに大変ですww

ようは、みんな大変なんですよ。

だから、各役割の人がちゃんとプロと呼べる領域にいかないと本来なりたたないんですよね。
それを強引に推し進めるから、歪みが生まれて信頼関係も構築出来ず仲良くなれないんです。

経営者とか会社は、スーパーマンに任せたいのならスーパーマンをつくる教育環境をつくらなくてはならない。
スーパーマンに依存しないで効率をかんがえるなら各役割に個々が専念出来る環境を提供し、それぞれの分野でのプロを育てていく。

本来はそうあるべきなんですよね…。

営業と制作がののしりあってる現場って少なくないと思います。
そんなの良いわけないですよね〜。ぶっちゃけそんな劣悪な環境から良い作品できないし、それにお金をだしているクライアントさんが一番気の毒です。お金をだしてもらっている以上、きちんと結果を出すのがプロの使命。そこをきちんと見据えた上で組織を構築していかなくてはならないのではないかと節に思う今日この頃でした。

そしてこの課題をクリアしていく上で重要な、各セクションの相互理解と経営的な組織作りという事については、また長くなってしまうので、別の機会に綴りたいと思います。

環境がひとをかえる。

(旧ブログからの転載記事)

今日は、経営者の一人としてちょっとおもったことを書いてみます。

よく人に「社長やれていてすごいね。ぼく(私)もしたいけど、今はとてもできないな。」といわれます。この言葉は、もちろん褒め言葉なので素直に嬉しく思います。 でも後半の「自分にはできないな。」という言葉には違和感を感じたりすることがあります。

わたしたちの業界には、フリーランスで活動しているデザイナーさんなど、たくさんいらっしゃいます。上述の言葉はフリーで活動しているクリエイターさんによく言われることがあるんです。

何故違和感を感じるのか??

それは、簡単です。
私自身、社長は誰でもなろうと思えばなれるのだ。
そう思っているからです。

社長になろう。
会社をつくろう。

そう決心した瞬間、誰しもが社長になれると思っています。
資本金規制がなくなるという会社法に変わった昨今、物理的な要素でもそういう仕組みになっているので、意外に簡単に会社をつくることができます。

純粋に起業だけを考えたら本当にびっくりするくらい簡単です。
それでも、起業できない人は、何がネックになっているのでしょう。
それは、ずばり「会社を維持し続けられる気がしない。」そういう感覚をもつことで腰がひけてしまう人が多いのではないかと感じています。

ちょっと視点をかえましょう。
会社というのは、基本的にゴールはありません。
事業を続ける限り、維持しつづける努力を皆でし続けなければなりません。それは二代目、三代目になっても一緒なのです。だから「会社を維持し続けられる気がしない。」という発想はちょっとずれているということになります。維持し続けられるか?ではなく維持するためにがんばろうなのです。

起業した人で、ずっと上手くいくことを最初から確信をもっている方は少ないと思います。ほとんどの方が、そこには不安を感じていると思います。でも、上手くいかないという発想も持っていないんです。矛盾するかもしれませんが、上手くいかせるためにがんばろう。それしか考えていないのです。

この差は非常に大きいのです。
そもそもの基本的な考え方の上で、上手くいかせるためにがんばろうがあると非常に俯瞰的な意識も芽生え、視野が広がります。それに伴ってどんどん価値観も変わり不思議と感覚が個人主義から会社という組織を起点に物事をとらえるようになっています。

そういう状態で出す言動が、もしかしたら特別な能力を備えている人というイメージを醸し出すのかもしれません。これは大きな誤解なのです。見ている視点が違うだけなのだと思います。特別なことではありません。

何が言いたいのかというと、そういう環境になれば自然とそうなるのが人間だということです。環境が人をかえてくれるんです。

だから、自分の意志で起業した人であれば、その強い意志から生まれた環境によっていろいろな変化が生まれ、自然に社長としての言動がでてくるようになるということです。

わたしは、社長が出す独特の感覚や能力というのは最初から持っている才能でなるのではなく、その環境に飛び込んだ人が、環境から学び身につけた能力だと確信しています。

為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり

本当昔の人はよく言ったものです。
まさにその通り。

何となく自信がもてなくて起業したいのにフリーから、法人成りになれない方。
もし起業が目標であれば、起業のタイミングというのは自分で決めた時だけだとおもいますよ。まっていても、タイミングは絶対にきません。それだけは間違いないと思います。

とにかくがんばってみよう。最初のきっかけはそれで十分だと思います。

もちろん税金のことなど、経営をするためには、いろいろ知っていかなくてはならないことはたくせんありますが、一番大事なのは、やっぱり自分の気持ちです。フリーランスで立派に生計をたてているのであればがんばれるのではないかなと思います。気持ちの持ち方一つです。

環境が人を変える。
そんな感覚を楽しんでみるのもいいと思います。

もちろん、今日の日記は起業したい人に限ったメッセージです。
起業だけが人生ではありません。
フリーが本当にベストと考える方は、無理に考え方を変える必要はないと思います。
そこに優劣はありません。

再三言う通りで、自分がどうしたいか。
本当にそこだけだと思います。

原監督と理想のリーダー像。

(旧ブログからの転載記事)

Yahoo!ニュース(2009年3月)で非常に興味深い記事を発見。
以下転載しますね。

原監督「涙目の新リーダー」

AERA3月30日(月) 13時 7分配信 / スポーツ – スポーツ総合
——「人生は他動的」を哲学とする原監督が、
サムライジャパンをWBC優勝に導いた。
雰囲気は明るく、選手を立ててのびのびと。
チャンスに弱かった「涙目」監督が大切にしたのは、
そんな新世代のリーダーシップだった。
フリーライター 赤坂英一 編集部 伊東武彦、斉藤真紀子、福井洋平——

侍ジャパン。
「長嶋ジャパン」以降必ず監督名を冠されてきた野球日本代表チームの名からあえて自分の名前を外した思いを、原辰徳監督はアエラ「現代の肖像」のインタビュー(昨年11月)でこう語っていた。
「長嶋さん、王さん、星野さんもそれだけの実績があるけれど、私はそこまでは名乗れない」
結果は前回WBCよりも高勝率での2連覇達成。だが、原監督はなお謙虚だった。優勝直後の胴上げでは3回宙に舞った末に落ちても笑顔。15安打で5点、2度追いつかれるという試合展開を、
「うまい監督さんならたくさん点を取らせてあげてると思いますけど」
と振り返り、帰国後の記者会見でも、
「私は何もしていない」

■「よろしく頼む」だけ

一方、優勝会見では、
「このメンバーは未来永劫、えー、すばらしい時をきざみ……」
と言葉につまる原監督に、横に座っていたイチロー選手は思わず笑みをこぼした。2次ラウンドでは、
「2勝することが大事」
と当たり前のことを連呼したり、「ゴーアヘッド」と、なぜか英語を口走るなどツッコミどころ満載の監督に、選手も笑顔で応える。
名将と言われてきた星野仙一北京五輪代表監督や野村克也楽天監督は典型的なトップダウン型。威圧感や理屈で選手を「統制」した。原流は、選手を立て自主性を伸ばし、長所を引き出し、劇的な結果を生んだ。
イチローと並んでチーム最多安打を記録した青木宣親外野手が振り返る。
「原監督は一番最初に『プロの集団だから、基本的に思ったとおり動いていい。最高の選手、能力のある選手を集めたのだから』と言ってくれました。チームでは自発的に選手たちが思ったことをやっていて、指示待ちではなかった。原監督は、方向性を示してくれました」
また、ある選手はこう語る。
「結果を出しているプロ選手なのだから厳しく言われるとつらいと思ったけど、そんな雰囲気はなかった」
監督経験者2人を含むコーチ陣に対しても上からの指示ではなく、強い信頼をもって接した。守備走塁コーチだった高代延博氏は、こう強調する。
「コーチとして、非常にやりやすい環境を整えてくれました」
9試合でチーム防御率1・71と卓越した投手力を支えた投手コーチの一人に抜擢された与田剛氏は、プロの指導歴がない。
「普通はそんなコーチを相手にするときは不安で話し合おうとするんでしょうが、それが一切なかったんです」
試合前にブルペンに投手陣を引き連れて行くときに、
「じゃあ監督、行ってきます」
「おお、よろしく頼むよ」
だけ。だが、不思議なことにコミュニケーションが取れていないと感じることはなかった。
「細かいことを何も言われないことが、かえって信頼の表れだったと感じました」

■「他動的」野球人生

東京ラウンドから5、6回食事会をし、決勝戦前にも焼き肉を食べに行ったが、監督は最後に一言、
「明日もがんばろう」
と檄を飛ばしただけだった。
そして、ここぞという場面では全幅の信頼を置いた。
準決勝のアメリカ戦3回表、松坂大輔投手が連打を浴びて勝ち越された。球数もかなり投げていた。原はかたわらの山田久志投手コーチに声をかけた。
「代えなくていいんですか」
「代えなくていいです」
投手の交代権限は監督にある。それでも、原監督はこらえた。
「わかりました」
松坂投手は後続を抑えた。WBCを取材したスポーツライターの石田雄太氏が語る。
「山田コーチは投手起用にぶれがなかった。その山田さんにすべてを任せたことで、侍ジャパンはうまくいった」
自我を前面に出す肉食系リーダーとは違う、「草食系リーダー」像を示した原監督。その人格を作り上げたのは、自ら「他動的人生」と語る野球遍歴だ。
他動的とは、人の力、指示で自分の人生を動かしていくという意味だ。
父が監督の東海大相模高から東海大、さらにドラフト1位で巨人入団とエリート街道を歩んだ。巨人入団後はライバルの故障でサードの定位置を確保。4番の座にもついた。2006年の巨人監督復帰も今回のWBC監督就任も、自ら求めたものではなく、周りから要請されてのものだったと、原監督は語っている。
「自分で進んで行ってるというよりも、与えられてきたと。それに幸せを感じている。自分がやりたくてやれるポジションじゃないわけですから」(昨年11月のインタビューより)
ポジションを与えられれば、その場で全力を尽くす。変なこだわりもしがらみもそこにはない。それは、ONという強烈なスター世代と野茂、イチローといったメジャーで活躍する新世代にはさまった「中二階」世代ならではの生き方なのかもしれない。ちなみに「他動的」とは名将・三原脩氏の考え方を参考にしたもの。人生哲学も他人から借りてくる柔軟さ。

■先輩ぶらずあったかい

現役時代から親交が深く、今も巨人の1軍コーチとして原監督を支える吉村禎章氏は、「こんなにあったかい人間っているのかなっていうくらい」と話す。
吉村氏が現役中に左ヒザに大けがを負ったときも医者を紹介してくれたりと、先輩ぶることがなかった。父親から常に人の3〜5倍は鉄拳制裁を受けて育ち、それを反面教師としているのではないかという。
威圧感を与えず、自主性を伸ばして結果を取る——『原辰徳・伊原春樹に学ぶ「勝者のリーダー学」』などの著書がある児玉光雄・鹿屋体育大教授(臨床スポーツ心理学)は組織論におけるリーダーシップを(1)民主型(2)専制型(3)放任型に分け、今回の原采配を(1)と規定する。星野、野村両氏は(2)の要素が強い。
昨夏、北京五輪に出場する星野ジャパンのキャンプ中、キャプテンだった宮本慎也内野手は星野氏に部屋まで呼ばれ、こう言われた。
「こう見えても、我々(チームスタッフ)は聞く耳は持ってるんやで」
またそのキャンプ中、外野手の守備練習を見た星野氏が、「しっかり送球しろと言っておけ」と宮本選手を通じて伝えたところ、選手はかえって硬くなり、送球は大きく乱れた。星野ジャパンはメダルさえ取れずに終わった。
サムライジャパンのメンバーだった城島健司捕手はキューバ戦後、彼に対する批判を繰り返していた野村氏に対して強烈な皮肉を返した。
「野村さんだったら現役時代は1点も取られないんだろうから。『野村ノート』(野村氏の著書)の配球のおかげで勝てたからお礼を言いたい」
メジャーリーガー5人をはじめ、日本野球界を代表するプライドの高い選手たちを「動かす」には、原の「民主型」が最も適したスタイルだったのだ。
リンクアンドモチベーションのコンサルタント、山谷拓志氏が、その理由を分析する。
「熱くなりすぎず、選手のプライドを損なわないように重要なメッセージは言葉で伝える。これは今回のように選手の実力が十分ある場合に効果的です」
民主的スタイルは不況期の職場でも、威力を発揮するという。新入社員を育成する余裕がないとき、社員の潜在力や長所を引き出さなくてはならないからだ。

■イラついても出さない

だからといって、つねに民主的で優しいだけではない。
「基本的には頑固。怒ったら物も飛んでくる。だけどそのあと部屋に呼ばれて、なんで怒ったのかというのを全部説明されるんです」(吉村氏)
評論家時代も必ずスーツ姿で取材をしていたほど身だしなみには厳しく、サムライジャパンでも茶髪、長髪は禁止した。その頑固さが今回は采配面にも表れ、結果に結びついたと評価する関係者は少なくない。
「韓国戦で延長に入った時も笑顔を見せるなど、終始表情は一定し、顔色が変わらなかったのが印象的でした」(スポーツライター・小西慶三氏)
前回WBCのように審判が妙な判定をしても動揺しないようにと、コーチ陣にも徹底した。
「イラついてもプラスになることは何もない。思うことがあっても顔には出さないでいこう。その態度を最後まで一貫させていましたね」(与田氏)
時には涙目で柔らかく、しかし時には頑固に。現役時代、チャンスに弱く「ガラスの四番」とも称されたイメージはない。
巨人の第1次政権時代には追いこまれると決断が遅れて得点機を逸してしまうこともあった。だが、昨年13ゲーム差をひっくり返す「メークレジェンド」を達成し、精神的にも余裕がでた。昨年11月のインタビューで、原監督はこう笑って語っていた。
「リスクという言葉は自分の中にはない。リターンっていうものしかないんだよ」
(4月6日号)

以上が記事内容になります。
うーーん。。実に興味深いですね。
私は、世代的にはどう考えてもたたきあげの世代です。
ただ、丁度いまくらいの年齢になると若い世代ともたくさん絡んでいかなくてはならない年頃で、当然、今の若い子たちには私たちがやらされていたような、たたきあげ根性論なんてものは通じないのを凄く痛感しているからです。

この記事にある原監督の組織掌握術は、実に時流にのっているかがよくわかります。これはなかなかどうして、簡単に出来る事ではありません。

自主性を重んじるというのは実に難しい所です。
自主性を強調すれば、その対極にある甘え・自我という仕事を考えるとマイナス要素になりかねない事象が発生しやすくなるからです。ただ、それを恐れて何でも管理してしまうと自主性は生まれず、長所を生かしてあげることも困難になります。一番堂々巡りになってしまうところですよね。

この表裏一体のバランスを絶妙にとるために必要な要素が、「対話」なのだと思いました。
この対話の仕方が正に重要で、同じ目線で価値観を所有しあうというコンセプトで行えるかどうか。対話の真髄というのは、そこにかかっているのではないでしょうか。

わたしを含め、若い世代と一緒に仕事をしている諸氏には、とても興味深い内容なのではないかなと思いながら、記事を拝読させて頂きました。

良いデザイナーでいるためには。

(旧ブログからの転載記事)

良いデザイナーでいるためには。
すごく難しい課題ですよね。

私自身の私見ではありますが、いろんな要素があると思います。
10年以上やってきて思うのは、まずは気持ちの持ち方なのだと思います。
今日はブログなので、あまり技術面などの専門的な事についての明言はさけます。
プロだから技術を磨くなどということは当たり前なので。

ではでは、
気持ちのもちかた。
それは一体どんなことなのでしょうか?

デザイナーというのは、「みんな上手くなりたい」とか、「喜んでもらいたい」という気持ちを強く持っています。そのために、貪欲に上を目指し、センスと技術を日々磨いています。ただこのストイックさが、長く続ける上で諸刃の剣となります。努力するが故に、様々な葛藤を抱え悩むこともたくさんあるんです。

悩みに入った時や、自信をなくしかけた時、そういうときは得てしてプロとしての存在意義を見失っているときなんです。プロって何?そういう自問自答に答えられない時が、迷ってしまっている時といいかえられます。

プロとしての意義。
それを思い出せればだいぶ光がさすのですが、プロの意義についてまた改めて綴ります。

今日の日記でいいたいのは、人というのはそんなに強いものではないということ。
当然悩みも不安も持ってしまいます。自己を回帰するだけではコントロールできないことの方が多いはずなんです。

そんな時は、どうしたらいいか???

答えは簡単です。
周りの人に甘えましょう。

ここでいう甘えとは、何でも仕事を助けてもらう事ではありません。
ここでいう甘えとは、自分の良さを伝えてくれる人とたくさん話をしましょうということです。自分で自分の良さや力量がわからなくなったら、それを分っている人に言葉でつたえてもらえばいいんです。

簡単にいうと、デザイナーとして高いモチベーションを維持し続けるには、その気にさせてくれる人を周りにつくっていくということです。上辺のおせじは心に響きませんよね?むしろ警戒心を強くしてしまいます。だからきちんと自分の心に言葉を届かせてくれる相手を見つけてほしいのです。

もし、そんな人があらわれたら、デザインをやっている方はとてもラッキーと思います。それだけで、デザイナーとしての寿命が格段にのびたといっても言い過ぎではないと思います。そんなラッキーな人は、いかんなくその環境を利用してください。
きっとまた、楽しく仕事できるようになってくると思います。

たくさん自分の良さを教えてもらってください。
そのような甘えは、決して恥ずかしくないと思います。
そして、同じ事を人にしてあげましょう。
そのありがたみを理解していれば、同じ事がきっとできると思います。

最後にわたしから一言。
プロとしてクリエイティブを長く続けるというのは大変なことです。
規模とか立場は関係ありません。続ける事自体が大変なことだと思います。
5年、10年続けてきている方は、本当にすごいことなのだと思って頂きたい。
まぐれや惰性ではきっと続けてこられていないはずです。

プロは人から仕事を頼まれなければ成立しません。

頼まれるという事は、その時点でそれまでの努力や、もっている才能を評価されているということに他なりません。だから、間違いなく才能もあり、努力もできているのだと思います。そういった現実をきちんと知りましょう。デザインが好きなら尚更です。

喜んでくれたお客さんや、褒めてくれたまわりの人。
そのひとたちの期待にこたえるための第一歩は、自信をもって胸をはることです。

誰でもそうですけど、自分がおすすめする人には自信満々でいてほしいものですもんね。

競争の激しい世界で、挫折した若い子をたくさんみてきました。
一人でも多くの人が、楽しくデザイン出来る事を祈りつつ締めたいと思います。

たくさん周りの人に褒めてもらって
がんばれ。

きっと出来るぞ!!!

好意と義務の境界線

(旧ブログからの転載記事)
今回は、好意と義務の境界線について書いてみたいと思います。
よくこんな事があります。

友人・知人:「チラシとかwebをつくりたいのだけど相談のってくれない?」
わたくし:「ほほう。」

友人・知人:「言いにくいんだけど、予算全然ないんだよ」
わたくし:「ほほう…。」
わたくし:「わかったよ。そうしたら幾らくらいなら用意できそう?それによってどんな事が出来るか決めていこうよ。」

友人・知人:「「本当悪いね。5万くらいならだせるけど…。もうかったら必ず追加でだすよ!」
わたくし:「・・・。わかった。じゃあそれで何とかしよう。その金額だと仕事の合間をぬってやるしか出来ないと思うけど構わない?」

友人・知人:「いいよ!全然それで。じっくりまつから。助かるよ。」
わたくし:「正直どのくらいのペースで仕事出来るかわからないから、時間の部分は本当に約束出来ないからね。あと、内容もある程度こちら手動でいかせてもらうけど、いいね。」

友人・知人:「全然大丈夫。全然大丈夫。もうまかせちゃうよ!」

というようなやりとりが行われ、仕事が発生する事がすごく良くあります。
同じような制作仕事をしている方には耳が痛い内容なのではないでしょうか。
同じ経験したことあるひとたくさんいると思います。

丁度、この前友人と食事していたら同じ事ですごく悩みつかれていました。

まあ、まわりくどい言い回しで表現しましたが、ようはお金ないから無料もしくは破格の値段でデザインしてくれないというような内容のオファーを平気でしてくる、友人・知人というのは後をたたないのです。

デザイナーをはじめ、ものづくりをしている人間というのは、「期待されること。」「たよりにされる。」という行為にめっぽう弱いのです。常日ごろ自分のデザインで誰かを喜ばせたいと思い、それをモチベーションにして、人間とは思えない激務にも耐えているのです。
ですから、上述のような「こまってるんだ。」「他にあてがない。」というようなシチュエーションになると、もう断るという行為は殆ど不可能になってしまいます。断るどころか「俺が(わたしが)何とかしてやろう!」という気持ちが、ふつふつとわいてきます。
そうして「まかせておいて。」という流れになってしまうのです。
ここまでなら、困っている人を助けるという意味合いで、ちょっとした美談ですよね。

んが!!!
そんなに世の中というか、人間は甘くないのです!!!
だいたいこのような仕事をうけると、典型的なパターンに陥ります。

1. 容赦ない(数えきれないくらい)デザイン修正の要請
2. 予算がないということを忘れて無理難題をおしつける
3. とどめは催促という口撃

まあ、こんなやりとりが発生します。↓↓↓
デザインをだすと……。

「もっと写真とかイラストとかバンバンつくっていれてくんない?地味だよ。」
「なんか文章変じゃない??」
「もっと○○(←一流ブランドをみて)みたいになんない?」

こんな事を発言し、

「っていうか、さすがに待たせ過ぎじゃない?仕事なんだからちゃんとやってくれないとさ。こっちも金払う訳だし。明日までに頼むよ。」
というコンボが炸裂することも多いですよね。

これ、ぶっちゃけ本当に言われた事あります。リアルですね。

仕事の合間で、ただでさえ少ない睡眠時間を削って頑張った極限の疲労状態にこのような事をいわれると、もうガックリするだけであんまり怒る気力もわいてきま せん。もう言われるがままにやるしかない状況になり、ものすごく心身を痛めつけながら何とか終わらせるのです。当然この類いの人たちは、感謝するという感情が欠如しているので納品してもお礼はいいません。お礼すら言えない人間なので、約束の追加料金なんてでるはずもありません。

そういえば、こういう仕事引き受けて、ギャラは何もだせないと泣きつかれた事がありました。軌道にのったら払うからと言われてもう3年たつ事例があります。当然釈明もないし一円も貰っていないのでした…。

終わった後、
どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。
そもそもお金ないから助けてくれと言われたんだよなあ。
困ってるならと思って好意でやることにしたんだよなあ。
何故感謝される行動をとっているのに文句言われなければならないのだろう。
よく図々しく催促なんてできるよなあ。
途方にくれてそんな事を悶々と考えます。
これが、好意と義務の差なんです。
相手はどんな金額だろうと対価を保証するのだから、制作者に対して意見する義務があるという感覚をもちます。制作者は、普段ならこんな金額では絶対にうけないけど、こまっているみたいだから一肌脱ごうではないかとい好意をベースに考えます。
これは絶対に埋まる事のない溝ですよね。
そりゃあ意見食い違うのは当たり前です。
どちらも正論で正解だと思う。
価値観の問題なのだと思うし、おかれている立場によるところも大きな要因といえますよね。
ならば、どうすればいいのか???

簡単です。
こういう類いのオファーを出すひととは関わらない。
仕事は受けないという事を徹底すれば良いのです。
上述の通り断るのは大変なので、関わらないというのが一番安全です。
よくみればこういう人は共通項がたくさんあるので、慣れると比較的接点をもたないのは簡単です。関わらなければ、ストレスをためながら断ったり、そんなの受けなければいいじゃん!とまわりにお説教されたりすることもなくなるんです。
長い事この仕事してきて、確信をもっていることがあります。
こういうオファーだしてくる人は、かなりの確率で確信犯なのです。
制作者の弱いところをついてきくるとても狡猾なやり口なのです。
人として持っていなければいけない大事な何かが欠落している人が多いのです。

すごい悲惨な事例だと、
さんざん作らせておいて納品してお金の話しようとしたら「払えないよ。友達なんだからこまってるの助けるのって普通じゃない?」そう言われてもみ消された友人もいました。
嘘のようで、本当にこんなことは日常茶飯事に行われています。
デザインというのは一見仕入れ等も発生しないようにみえるので、価格も含めてたたきやすいんでしょうね

残念ながら、好意と義務の溝はうまりません。

己を守るのは己のみ。

断る事も誠意のひとつ。

苦しんでいる制作者の方には、是非この言葉を知って頂いて、大切なクリエイティブタイムを守ってほしいと思います。

円滑な仕事のすすめかた。

(旧ブログからの転載記事)

わたしたちの仕事というのは、本当にコミュニケーションが重要です。
でも、デザイナーはコミュニケーションが苦手な人が多い。

だからディレクターという立場の人が必要になる。
ディレクターはその名の如く監督するのが仕事。
時間コントロールはもちろん、品質のコントロール、クライアントと制作の意思の擦り合わせ作業等々、やることは満載です。時にはプランナー的な事もやらされている人もいます。

私もデザイナーであり、時にはスタッフに制作をまかせるのでディレクターになったり、アートディレクターになったりもします。やっぱり自分で全部制作する時 が精神的には一番楽です。私の場合は、自分の会社という事がかなりそいうったストレスを軽減させてくれています。あと、最悪自分はデザイナーなので、もう我慢ならなかった時は最悪自分で処理出来るという安心感もあります。そういう後ろ盾というのは本当に有り難いと思っています。

でも、普通の会社に勤めている、ディレクター専任の方々はそうもいきませんよね。
制作は出来ないので誰かにやってもらうしかない。でも制作からは常に煙たがられる。納期はまってくれないし、クライアントの言う事はある程度うけいれなくてはならない。仕事がトラブれば責任を負わなければならない立場で、その逃げ道と選択肢の少なさは、そりゃあもう大変です。心中お察し致します。

んが!!!

そうした結果、もうなるようにしかならないから、全部丸投げしてしまえ〜〜〜っというフィーリングになってしまうディレクターさんすごく多いです。

私:「クライアントさんはここをどんな風にしてもらいたがってるんでしょうか?」

そんな質問をします。返事は……。

D:「何でもいいと思うから適当にやっておいてください。」

私:「・・・・・・・・・・。」

凸(゚Д゚#)ゴルァ←私の心のさけび


デザイナーという人種は、この「適当に」という言葉に異常反応を示します。絶対にいってはいけないNGワード3本指に入ります。モチベーション指数は100から0に一瞬でなってしまうのです。

そんな中でも仕事なので、何とかはらわたをおさえながら頑張って仕上げます。
そして、チェックをしてもらう。

そして返ってくる言葉は

D:「ここ全然イメージと違うから直してくれます?もっとデザイン的にあしらってくださいよ。」

私:「・・・・・・・・・・。(←:一瞬の間)なるほど、なるほど。具体的にあしらうというのは、どんなイメージ感ですか??

D:「なんかこうデザインっぽくっていうかね。適当にやっておいて。」

私:「・・・・・・・・・・。」
凸(゚Д゚#)ゴルァ←私の心のさけび

こういう感じで魔のスパイラルに入ってしまって、通常1日で終る作業も1週間近くかかってしま うこともあり、時間をたっぷりかけたのに、これは私の作品ですととても言えないクオリティになってしまうという、最悪の結果もでてしまうんです。これはプ ロとしては本当に失格であってはならないこと。

でも、上述の様に自称「ディレクター」が最近業界に多すぎるのです。
たいして勉強もしていないのに知ったかぶりをするし、時間コントロールは、下請けを急かすだけ。最悪鶴の一声の脅し作戦。

こんな、似非ディレクターに本当に悩まされている、制作さんはとても多いと思います。それはたとえ社内でも社外でも起きている事象と思います。

今うちの大切なスタッフが、エセDにハマって大変な事になってしまっています…。
やりとりを聞いていると正に上述をデジャヴューしている感じです。
連日連夜の徹夜作業に追われ、頑張っても頑張ってもなくならない修正。
終るまでつきあっていますが、本当に大変な思いをさせてしまっています。

上司として、先輩として、社長として、色んなアングルからどんな言葉をかけたらいいか本当に考えてしまいました。わたしから言えるのは本当にひとつしかないなと思いました。

それは、
「どんなに嫌がられても、どんなに煙たがられても、制作に必要な情報は聞き出そう。そして何が問題で制作がうまくいかないかをきちんと自分の言葉で伝えよう。あとは、納品が終ったら、お互い労いのコミュニケーションをとりなさい。そうすれば自然と反省会になり双方理解度も信頼関係もあがるものだよ。」ということです。本当にシンプルにこれしかないのです。
頑張ってコミュニケーションを図るしかないんですよね。

あとは、気休めになってしまうかもしれなけど、
「もし、それを全部やっても上手くやれないときは、相性があわないと思って、今後は断る事も念頭にいれていい。それは自分で決めなさい。仮になくなっても、みんなで補完すればいいだけの話だから。簡単だろ?」
と締めるしか出来ませんでした。

私の方から文句をいって、仕事を断るのは簡単です。
でも、そのジャッジは第三者の私ではなく当事者が決めた方が幸せだと思います。
だから、わたしは、お客に今回クレームをいれていません。でも完全にクレームの範囲に入っています。とても苦虫をかむような気持ちです。

円滑に仕事をするには、まず自分の口から言葉を出すということ。通常営業等では「話しすぎない。聞き上手になれ」が基本ですが、こと制作の人は極端に受け身体制になってしまうことが多く、ストレスだけためるという悪循環に走ってしまうので、まずは口から言葉をもっとだそう!そこから始めてもらえるだけでも、 きっと今まで困難だった人との仕事が上手くいくケース、きっとでてきます。

良いクリエイターは、本当に自分の考えを言葉にするのが上手です。

良いクリエイター=コミュニケーション上手

そう思って頂いて間違いありません。

だから良いクリエイターを目指すなら、まずは言葉を発してみてください。
その積み重ねがきっと後で大きな宝物になると思います。

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JkZero7

Art Director & Graphic Designer
I love Mac,iPhone&iPad.
グラフィックデザイナーをしています。
日々の出来事や思ったことをゆるめに綴っていきたいと思います。

※本ブログは、自分の複数あるブログを統合するために開設しました。過去の自分のエントリーからも転載することもあります。

※本ブログは、自分のデザインではなく、WordPressのお勧めテーマを使用させて頂きました。