言葉の一人歩きは恐ろしい。


日本語というのはとても万能ですよね。
ちょっとしたニュアンスの違いも多種多様な単語を駆使して表現が出来る物凄いクオリティの高い言語の一つだと思います。ただ、そんな長所も最近はガッツリと短所にかわってきていると感じることも少なくないですよね…。

今日はそんなこんなで、言葉についてちょっと考えてみました。
何故そのようなことを思ったのかということなのですが、前回の日記でも少しだけ書かせて頂いたのですが、今年に入ってうちの会社はデザインコンペが続いているんです。コンペに参加して作品をつくっている時に凄くこの「コンペ」という言葉の使われ方に違和感を感じてしまったことがきっかけでした。

コンペというのは、wikiによると「competition=競技会」と定義されています。あと、優れたものを選ぶことともされています。優れたものを選ぶためにデザインをそれぞれにつくらせて競わせる。デザインコンペとは、簡単にいうとそういうことになるんですが、最近はこれってコンペなのかな?と思う事がよくあるんです。

では、実際にどんなときに違和感を感じているかということを簡単にまとめますね。

まず、与えられる情報が各社平等でないことが非常に多いという現実です。ある情報を知っている会社があったり知らない会社があったりという状況の中で平気でコンペが行われたりしているんですよね…。コンペとは上述のように優れたものを競わせるための機会なので、正当にすぐれたものを品評するには決定的に守らなくてはならないことがあります。それは、同じ条件でつくらせるということです。同じ条件でつくらせてはじめて優劣を判断出来るということは誰でも理解できることだと思いますが、そんな簡単な事すら守られない…最近のコンペではとても多くなってきている事象の一つなのではないかと思います。

各社、やっぱり仕事はほしいですよね。コンペは決まれば大きいですが、コンペの費用がでないのが当たり前になっている昨今では落ちたときのダメージは図り知れません。そのような状況下におかれていれば担当営業は少しでも有利にコンペを運べるように、個々に情報収集や裏取りに奔走するようになります。コンペは同じ条件であ争ってこそ成立するというフェアな精神はすっとんでいってしまうんです。

でもその心理はごくごく当たり前だと思います。会社を思う、協力してくれる人の事を思う、そういう思いが強くなればなるほど、有利になる条件はひとつでも引きだしたいと思う気持ちは普通に出てきてしまうと思うんです。

なので、できればコンペを発注する依頼者の方が、強い意志をもって対応して「同じ条件」という、コンペの環境づくりを徹底して欲しいと思うのです。依頼者にはその義務があると思います。その時のノリや各社の担当の人間との蜜月度合いで情報がかわるような環境しかつくりだせないのであれば、コンペという名のもとに争わせるのはやめたほうがいいと思います。

コンペといってしまえば、何となく格好がついて、参加者も簡単に集うことができるし、費用をかけずにアイディアを集うことが出来る、という安易な発想でつかわれている。よく言えば広義の意味でコンペという言葉が浸透し、わるくいえば何でもありの魔法の言葉化してしまっているんですよね。言葉自体が一人歩きしてしまい、意味が軽くなっている分、誰でもコンペコンペといいだす状況がとても増えていると思いました。

このような魔法の言葉ができてしまうと、いろいろなことをうやむやにして押し通す隠れ蓑がうまれ、不条理なことができてしまう環境をつくってしまうんですよね…。最近は担当者さんが独断で業者などをかえたいと思いたち、上司を説得するためだけの材料集めのために開かれる名ばかりコンペも多く、僕も実際にコンペに勝ったにも関わらず、話しがたちきえてしまった案件も結構ありますので…。

はっきりいわせてもらうと、依頼者側のモラルが破綻してるんですよね。しかもその自覚がまったく本人達にないという最悪な状況だったりするんですよね。コンペの費用ひとつにもそんなスタンスはありありとでていますよね。コンペの費用なんて払わないのがあたりまえ。何故なら仕事をあげるんだからね。業者は誠意を見せる義務がある。というスタンスなんですよね…。

コンペならコンペ。
アイディアだしの協力なら協力。
素直に話し合って取り組める環境がくるといいなと本当に思います。

そうすればもっと良いものも沢山うまれて良い循環くるはずなのにな…と青臭いことを考えてしまった今日この頃でした。


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