タグ : design

本当に忙しいの??

久々の日記です。
今回のテーマは「忙しい」です。

この忙しいというのは非常に重たいテーマ。
自戒もこめて考え方を整理整頓していきたいなと思いました。

そもそもどういう状況を忙しいというのか考察してみたいと思います。

たくさん仕事があってこなしきれないとき?
残業が多くなったとき?
休みがとれないとき?

上述の環境になった時は、恐らくどんな人でも忙しいと感じるのだろうと思います。
ただよく考えてみたいです。本当に忙しいのか?と。

そもそもたくさん仕事ってとはどのくらい?
残業はどのくらいになったら多いの?休みがとれないってどのラインからなの?

これらの要素って、結構個人の主観による判断が多いですよね。だから、人それぞれは当たり前だし、そもそも同じ人間でも体調やメンタルなどバイオリズムによってかなり主観判断基準というのは変化してくると思うんです。 この主観基準によるジャッジというのは本当に恐ろしいものだと思います。個々に判断がだされているので、物凄いあいまいなまま感情だけがむき出しのまま形成されていってしまうんですよね。

さらに、個々の感情が干渉しあって色々と増幅していってしまうんですよね。
例えば、自分自身がどんなに忙しいと感じても他人からみたらそうでもないときもある。逆もまた然り。こういったギャップの感情は負の感情となって「負の雰囲気・流れ」として増幅されていき、負の相乗効果で個々の感情は更に影響をうけるという正に連鎖が始まってしまうんですよね。

第三者の感情がプラスされて、感情の流れを雰囲気というもので構成していってしまうので厄介なのです。その人の価値を判断する指標にガチガチに影響してしまうからなんです。なので保守的な感情もうまれ、もうカオスですよね…。

まったく考えがまとまらないし、考えれば考えるほど深みにはまっていくのが「忙しい」という感覚なんだなと思います。

ただ、最近は若干視点をかえることに成功したことがありました。

社内で、物凄い「忙しいオーラ」が充満して、呼吸をするのもおこがましいというくらい重々しい雰囲気の時があったんですよね。なんでこんなにやれどもやれども仕事が終わらないんだと全員がパニックになっている感じでした。

あまりの惨状に、ちょっと待て!まず一回やっていることを整理しようぜ!と自分の中で警笛がなりました。そこで強制的に睡眠をとって冷静になったところで状況を確認してみたんです。

そうしたらどうでしょう?
タスクを箇条書きであぶりだした時のすくなさったらもう少なすぎて目玉が飛び出しましたね…。
全然忙しくないじゃん!
赤面ものでした。実は全然仕事量が少なかったというオチでした。

ようは、頭が疲れちゃって休む間をつくらず連続してタスクをこなし続けていた関係で疲労が蓄積して息切れしているだけだったんです。 そうです。ようは眠かったんですよね。ねたかっただけなんです。その希望が叶えられないストレスがパニックをよび忙しい病に発展してしまっていたんですね。

簡単にいってしまえば、睡眠をとりたい願いがかなえられない地団駄踏みたい気持ちを「忙しい」という表現方法で外にぶちまけていただけなんですよね。

まあ人間ですから、ちょっと休憩もしたいですし睡眠もとりたいというやつです。
なので仕事の純粋な量というよりは、連続してやり続けているストレスが問題だったわけなんですよね。

でも忙しいと不満は同義でないので、切り離した方がいいですよね。
切り離すと物凄いらくになれるのだな〜って実感しました。
休みさえ入れれば、全然忙しくないないから、まだまだ余裕だったんだな〜って思った時の安堵感っていったらもうヤバイですよね♪本当に心からよかった〜って思いました。

ただ、厄介なのが社長の自分がそんなださださ忙しい病に感染してしまったが故に、スタッフにも負の感情がびんびん伝染してしまっていて……。連鎖が連鎖を呼び会社の雰囲気は最悪の全員忙しい忙しいテンパル騎士団状態になってしまったという…。これはかなり反省しました…。

でも、物凄い忙しいと思っていたら、実は全然忙しくなかったんだってわかったときのお笑い感と安堵感。
反省しつつも、凄い新鮮な感覚でしたww

なので、こんな新鮮な感情は是非共有したいということで、早速社内でも忙しい病の検診を始めて見たのです。
案の定物凄い効果ありましたw

何をしたのかというと…

まずは社内でヒアリングを開始してみました。
その後については、長くなってしまったので次回に綴りたいと思います。

デザイン絡みは何故もめるのか? 第二回

昨日見事に脱線に次ぐ脱線で終わってしまった、
デザイン絡みは何故もめるのか?」 の続きを忘れないうちに書いていきたいと思います。

まず、また脱線することがあることは容易に想像出来ます。
その時はまた続きを書いて、いつの日か必ずオチをつけたいと思っています。キリッ

前回のエントリー最後に戻りつつ再開させて頂きます。
実はもめる時というのは、その前に決定的なことが起こっていて、これから述べるような状況があった場合は必ずあとでもめます。

それは…。

打ち合わせの時に、デザインについて共感し合ってもりあがって意気投合しちゃったりしたときです

そうです!
意識を打ち合わせの時に共有しちゃたったりした感覚をもってしまうと、まことに残念ではございますが、凄い確率でもめるんです!

何故???
仕事を発注する側とされる側で同じ意識を共有できるなんてとっても素晴らしいこと!
なのに何故?何故共有感をもつことはマイナスの方向に運んでしまうのでしょうか…。

それは、とても簡単です。
何故ならそれは勘違いだからです!!!!

えええええええ!!
と、なりそうですが、これは残念ながら事実なのです。

よく考えてください。
クライアントさんはデザインのことがよくわからない、もしくは出来ないからプロにお願いするわけですよね?そして、いいかえるとデザイナーはデザインのことがわかっていて、つくることが出来るから発注してもらえるわけですよね?

片方はデザインのことをよくわからない。
そしてもう片方はデザインのことを深く理解している。

そんな両極端に位置している人が、ちょっとブレストしただけで価値観が共有出来るわけがないんです!!わけなしです!!

スレッガー中尉もいいました。
「悲しいけどこれ戦争なのよね。」

この台詞と同じくらい哀愁をこめていえると思います。
デザインってそんなに簡単に共有感をもてるほど甘くないです!!!!

お互い盛り上がって意識を共有できていると勘違いしたところから仕事をスタートさせて、実際に形になってきたときに本当のギャップに気づくわけなんです。そりゃあ、腹もたちますしイラッともしますよね…。

信じていたのに…。

となってしまうんですよね。
しかもそれが、双方そう思ってしまうので、これ厄介なのです。どちらもギャップに衝撃をうけて悩んでしまっているので上手くまとまるものも感情的になりやすく簡単にこじれてしまうのです。

そんなバックボーンのもと、前回の日記にかいたようなあるあるシチュエーションになったら…。

アワワワ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

だから、くれぐれも最初のブレストの時に
「アップルのデザインいいよね〜!」
「自分もアップル好きっす!ぱねーーっす!」
「おれ、アップルみたいなブランディングしていきたいんだよね…遠い目」
「その考え方素晴らしいっす!自分も是非そこにむけて協力させてください!!!」
「おお!同志よ!!」ガチッ!←熱いシェイクハンド

なんていう適当でDQNなもりあがりだけで終わる打ち合わせはしないようにしてくださいね。
シャレ抜きで、得てして揉めるときって最初の打ち合わせは盛り上がっているものなのです…。

制作物というのは、必ずつくる目的があります。
その目的が何か?
最短・最速 でそれを達成できる方策は何か?
当然ターゲットや商品など、いわゆるマーケティングにおける4P的な要素をふまえて作られていかなければならないわけです。

なので、そんな簡単に共有意識なんて生まれないはずなんです。
関わる人たちがみんなで知恵を絞り出していって苦労に苦労を重ねてはじめて共有感というものは生まれるんです。

そうやって生まれた共有感のもと制作物がつくられた時は、本当に良い作品が出来ますし、関係者がもめるなんてことはおきないんです。逆にもめるときというのは、価値観や意識がそれぞれ一人歩きしてしまって共有感が構築出来ていないということができます。

これが本当に難しいんですよね…。
お互いがあゆみよらないと出来ない関係なので…。

お金を出す側と出される側。
作る側と作ってもらう側。

それぞれの主観が人間交差点クラスの複雑さで相まって来ますから…。

ただ、完全に回避することは難しいと思いますが ケアすることはできます。
そしてケアの積み重ねが回避への唯一の道程だとも思います。

これはどんなことにも言えると思いますが、何かを生み出そうと言うときに簡単に上手くいくことは少ないです。
怖いくらい簡単に物事が運んでしまっているときは、少し冷静になって状況を把握してみましょう。

自戒もこめて綴ってみました。

良い作品作りのために、これからもがんばるぞ!!!!

まあ、もめるもめないってもっと色々ありますけど、一つの例でした。
また色々書いていきたいと思います。

と、強引にオチをつけてみたのでした。ww

デザイン絡みは何故もめるのか?

心を入れ替えて、連日のエントリーです。

今日はデザインが絡んだ仕事は何故もめるのか?というテーマで書いてみたいと思います。

デザインを発注したりされたりという、仕事でクリエイティブを展開した場合というのは意外や意外(笑)で、もめて問題が起こること凄い多いです。ええ。凄い多いと思います。簡単に言ってしまえば、「デザイナーvsそれ以外の人」という構図で言い争いやらで険悪雰囲気になってしまうのです。時にはののしりあって本格的な喧嘩になって断絶なんていう、双方大人とは思えないくらいこじれることもあるのです。それ以外の人と表現しているのは、こちらの立場は時には身内のスタッフである営業だったりディレクターだったり、クライアントだったりと状況に応じて色々と入れ替わります。

何かこうやってあらためて字でおこすと、
デザイナーがようは悪いんじゃね?
っていうオチが簡単についてしまいそうですね……。

(´・ω・`)チーン

いやいや…。
ちょっとお話させてくださいませ。
これには色々と事情があるんです。

一旦シチュエーションを整理してみましょう。
例えば…。

文字の大きさなんてのは日常茶飯事ですよね。これは、完全にデザインの仕事あるあるです。結構コツコツと火種になりやすいポイントですが、まあ、この辺りのことでは言い争いには殆ど発展しません。

クラ「ここの文字読みにくいので大きくしてください。」
デザ「はい。わかりました。大きくしますね。」
… …………………………………………………
デザ「大きくしましたのでご確認ください〜!(102%にね。←心の声)
クラ「ありがとうございます〜。どれどれ。ん!んんんん?あ、あの大きくなってます?」
デザ「もちろん大きくしましたよ!(102%にね!←心の声+嘘ではないのでまあまあ強気)」
クラ「なるほどですね〜。もう少しだけ大きくしてくれますか〜。(ちゃんとやれよ!ぼけ←心の声)」
デザ「わかりました!(ちっ!ぺっ!←心の声)」

こんな感じでくだらない攻防が若干つづくくらいでもめるというほどのものではないんですよ〜。
では、どんな時がやばいのか?やっぱり一番多いのはデザインについてああだこうだと口を出されたときですよね。

例えば、使っている色づかい。
配色というのは、とっても奧が深いんです。
単純に 好みといった直感的な要素が強く影響しますし、オレンジは生命力を促進させるとか、心理学的な科学的な要素も強くあったりと、非常に多くの側面で気を使いながら決定していく、デザイナーとしてもかなり神経を使う場所なんです。凄くエネルギーを使ってきめていくので、その分ストレスも多くなります。配色ではまったときのストレスといったらそりゃあも酷いものですよ〜。僕なんかはストレスが酷すぎて凄い確率で下痢をしてしまうほどですw まあ、それはさておき、それだけストレスフルで繊細なポイントを簡単なノリで、この色好きじゃないかも。もっと違う色ためしてみてよ〜!何て言われようものならもう大変です。アンタッチャブルゾーンを鷲づかみですよ、鷲づかみ!これはもうめちゃめちゃリスキーなシチュエーションです…ぶるぶる。

あと、装飾や間につかってるスペースなんかについても口出しされた時もブルブル指数がMAXですね。
例えば、見出しの文字にドロシャ入れてとか、ふち文字にしてとか…。あと、隙間を見つけては、追加の情報を入れたがるとかね…。

その応用につぐ応用で生まれた必殺コンボがあります…

まず、「色が気持ち悪いので赤にしてください。あと見出しはふち文字にしてドロシャもいれて目立つようにしてくださいね。あと、ここの隙間がもったいないので、この文章追加しておいてください〜。」 と軽く追加しつつ、デザインにさんざん口をだします。

追加用の隙間ですが、どう頑張っても2行分しかない…。でも追加の文章はあきらかに10行分くらいある…ゴクリ…とデザイナーはなります。
そこで、当然デザイナーは「入らないですよ、こんなにたくさん…。え?入りませんよ。」と狼狽して懇願します。

ここまでくると機は熟したとしかいえなくパーフェクトな状態です。
そうです。あとはとどめをさすだけなんです。
そしてこう言われるんですよ。デザイナーは…。
「レイアウトとかデザインのことはプロにお任せします〜〜!」

(°Д°)ポカーン
ですよね。ぽかーんですよ。まったく!!
さんざんデザイナーの頑張りを全て無にすべくデザイン的な赤字を入れ続けた挙げ句、収拾がつかなくなったらプロにお任せ安心パック作戦なわけですからね〜。

これ、冗談じゃなくて、デザインあるあるすぎるくらいの決定的なシチュエーションですよ!

あれ?

いけないいけない。何故もめるのかですよね。今日のテーマはすっかり脱線してあるあるネタになってしまいました…。反省です。

話しを戻しましょう!キリッ
実はもめる前には事前にかなり決定的な状況が必ずあるんです。
キーワードは共有感なんです。
っていうか、これから本題なのですが、長文が酷すぎるので、本題は次回へ…。

ホントすみません。 すみません。

言葉の一人歩きは恐ろしい。

日本語というのはとても万能ですよね。
ちょっとしたニュアンスの違いも多種多様な単語を駆使して表現が出来る物凄いクオリティの高い言語の一つだと思います。ただ、そんな長所も最近はガッツリと短所にかわってきていると感じることも少なくないですよね…。

今日はそんなこんなで、言葉についてちょっと考えてみました。
何故そのようなことを思ったのかということなのですが、前回の日記でも少しだけ書かせて頂いたのですが、今年に入ってうちの会社はデザインコンペが続いているんです。コンペに参加して作品をつくっている時に凄くこの「コンペ」という言葉の使われ方に違和感を感じてしまったことがきっかけでした。

コンペというのは、wikiによると「competition=競技会」と定義されています。あと、優れたものを選ぶことともされています。優れたものを選ぶためにデザインをそれぞれにつくらせて競わせる。デザインコンペとは、簡単にいうとそういうことになるんですが、最近はこれってコンペなのかな?と思う事がよくあるんです。

では、実際にどんなときに違和感を感じているかということを簡単にまとめますね。

まず、与えられる情報が各社平等でないことが非常に多いという現実です。ある情報を知っている会社があったり知らない会社があったりという状況の中で平気でコンペが行われたりしているんですよね…。コンペとは上述のように優れたものを競わせるための機会なので、正当にすぐれたものを品評するには決定的に守らなくてはならないことがあります。それは、同じ条件でつくらせるということです。同じ条件でつくらせてはじめて優劣を判断出来るということは誰でも理解できることだと思いますが、そんな簡単な事すら守られない…最近のコンペではとても多くなってきている事象の一つなのではないかと思います。

各社、やっぱり仕事はほしいですよね。コンペは決まれば大きいですが、コンペの費用がでないのが当たり前になっている昨今では落ちたときのダメージは図り知れません。そのような状況下におかれていれば担当営業は少しでも有利にコンペを運べるように、個々に情報収集や裏取りに奔走するようになります。コンペは同じ条件であ争ってこそ成立するというフェアな精神はすっとんでいってしまうんです。

でもその心理はごくごく当たり前だと思います。会社を思う、協力してくれる人の事を思う、そういう思いが強くなればなるほど、有利になる条件はひとつでも引きだしたいと思う気持ちは普通に出てきてしまうと思うんです。

なので、できればコンペを発注する依頼者の方が、強い意志をもって対応して「同じ条件」という、コンペの環境づくりを徹底して欲しいと思うのです。依頼者にはその義務があると思います。その時のノリや各社の担当の人間との蜜月度合いで情報がかわるような環境しかつくりだせないのであれば、コンペという名のもとに争わせるのはやめたほうがいいと思います。

コンペといってしまえば、何となく格好がついて、参加者も簡単に集うことができるし、費用をかけずにアイディアを集うことが出来る、という安易な発想でつかわれている。よく言えば広義の意味でコンペという言葉が浸透し、わるくいえば何でもありの魔法の言葉化してしまっているんですよね。言葉自体が一人歩きしてしまい、意味が軽くなっている分、誰でもコンペコンペといいだす状況がとても増えていると思いました。

このような魔法の言葉ができてしまうと、いろいろなことをうやむやにして押し通す隠れ蓑がうまれ、不条理なことができてしまう環境をつくってしまうんですよね…。最近は担当者さんが独断で業者などをかえたいと思いたち、上司を説得するためだけの材料集めのために開かれる名ばかりコンペも多く、僕も実際にコンペに勝ったにも関わらず、話しがたちきえてしまった案件も結構ありますので…。

はっきりいわせてもらうと、依頼者側のモラルが破綻してるんですよね。しかもその自覚がまったく本人達にないという最悪な状況だったりするんですよね。コンペの費用ひとつにもそんなスタンスはありありとでていますよね。コンペの費用なんて払わないのがあたりまえ。何故なら仕事をあげるんだからね。業者は誠意を見せる義務がある。というスタンスなんですよね…。

コンペならコンペ。
アイディアだしの協力なら協力。
素直に話し合って取り組める環境がくるといいなと本当に思います。

そうすればもっと良いものも沢山うまれて良い循環くるはずなのにな…と青臭いことを考えてしまった今日この頃でした。

自分のこと。

この前の週末、アート系のwebサイトとメルマガ用のだったんですけど、インタビューをうけてきました〜。

すでに現場にいらっしゃる方がどんなことを考えているのか?
どんな仕事を実際にしているのか?

そんなことを今アートやデザインなどを勉強している方や興味をもっている方に知ってもらい、もっと身近にかんじてもらいたいというコンセプトでの企画でした。僕自身とてもその趣旨に共感がもてたので、思い切ってインタビューをうけることにしました。ちょっと恥ずかしいので最初はどうするか考えてしまいましたがw

今までも雑誌などでインタビューというのはあったのですが、それはあくまで作品についてというテーマで、自分という「個人」を語るものではありませんでした。だから今回はとっても不思議な感じでした。

インタビューの前日に、どんな事を話しようかな〜って色々考えて思ったことがありました。
それは、自分の事って意外に言葉にするのが難しいなということでした。

客観を表現するというのは意外に普段の生活でしていることなので身構えることがないんですけど、主観であり、ターゲットが自分というのは機会がないので、表現するのに本当に苦労しました。インタビューもかなり内容が前後した発言になったりと、もう素人感満載でした…。

そこで、自分の考えてることであったり、そもそも自分のことを言葉で表現できるように少ししていかないといけないなと思った次第です。そういった意味合いでも、ブログというのは有効的なツールだなと思いました。もっと積極的に更新して、表現を磨いていきたいと思いました。

さて、これからどんなテーマで日記をエントリーしていこうか、課題を考えてみました。

  1. どんなきっかけでデザインを始めて、どういうプロセスでデザイナーになったか?
  2. 何故独立して起業したのか?
  3. 自分のビジョンとミッション?

こんなところを今後まとめてエントリーできればと思います。
まあ、すぐにというわけにはいかないと思うのですが、ちょこちょことww
上述の課題の中でもビジョンとミッションというテーマは自分としては結構大切にしていきたいところなので、楽しみです。

ということで、自分のことについては随時日記するということで、
少し話を変えますね。

今回アートを主体にされている方がインビュアーさんで色々と話していて思ったのは、情報をアウトプットするプロセスが自分は偏っているなということでした。

いわゆるプロのデザイナーというのは、商業デザインという中での活動がメインになると思います。商業というだけあって、デザインするものは、企業さんや団体さんなどの、広告であったりWebであったりカタログやポスターであったりします。それと、デザインするための商材という存在が必ずあり、且つ、デザインするための目的が最初からあるんですよね。

例えば、僕らは、Aという企業が開発したBという商品を○○のターゲットに対して訴求したい。そのための広告とキャンペーンwebを展開したい。といったオファーを受けたりします。こういう形でオファーをうけるということは、デザインをするための商材(A社と商品B)と○○という層に対しての訴求したいという目的がすでに発生しているんです。

最初に定められた目的に対して、それを達成するためにはどんなデザインにしなければいけないのか?またはどんなアプローチ方法をとればいいのか?というところに知恵を絞って取り組んでいく訳なんです。

その他にも

どうやったら、インパクトを与えて注意喚起をしてもらえるのか?
どうやったら、爽やかで安心なイメージをあたえることができるのか?
どうやったら、サービスや商品についての理解度を促進させてあげることができるのか?

こんな感じで、常に目的から、それを確実に達成するための手法であり方策を検討して、デザインというビジュアルに遷移させていくという、意外に色々なことを考えながら頑張っているのが僕がやっているデザインの世界の人間のお仕事です。

この目的から方策を練るというのは、それはそれで本当に難しいことなんです。
なので、それなりに知識も経験も求められますし、正解がないので常に試行錯誤という、道のりもとても厳しいのです。

僕も業界に入って、そんな道のりをひたすらテコテコ歩いてきた訳なんです。お陰様で、学び身につけたことも沢山あったのではないかと思ったりもしています。ただ、その道のりを邁進するがあまり、逆のプロセスに対してのアクションがどんどん出来なくなっていたんだなという偏りに気づいたんですよね〜。

逆というのは、目的も商材も何もない状態から自分の感情だけで何かを生み出すという行為です。
最近の僕は極端にこのアクションをやらなくなっていました。やっていなかったというのは厳密じゃないですね…。
やれなくなっていたが正確な表現かな。

デザイナーになりたての時って、もっと個人作品をつくっていたんですよね…。
色々と制約の多い仕事での作品作りが嫌で嫌で仕方なく、自由につくれる個人作品というのが楽しくて当時は好き勝手に作品をつくりまくってました。でも今は殆ど個人作品はつくってません。これは単純に忙しくなったからということだけではないと思いました。個人作品をつくることに魅力を感じなくなってしまったんだと思います。よりプロとしての考え方が構築されて、自由という行為より目的を達成して人の役にたちたいという意識が強くなって夢中になっていった結果なんでしょうね。

別にそれが悪いとか良いとかっていう話では当然ないのですが、情報をアウトプットし形にしていくという意味では、両方のプロセスに柔軟に対応していけるようにしていったほうが自分としてはもっと良いクリエイションをできるのではないかと、漠然と思い立ったのです。それぞれの側面に良さがありますからね〜。だからよくばりにその両方の良さを自分の中に根付かせていけないかと思ったんです。

そうすれば、今まで出来なかったことも出来るようになるかもしれないと期待感はとてもあります。
上述の自分のことをまとめるというのもその一貫だったりしちゃってます。

個人作品時間があればつくっていきたいです。それで、新しい感覚を磨いていきたいです。
出来たらブログにアップするかな〜。
ブログもがんばるぞ〜!

デザイナーとしての喜びとは。

(旧ブログからの転載記事)
前回の日記「良いデザイナーでいるためには」の続きです。

長く良いデザイナーであり続けるには自分の良さをたくさんつたえてもらうこと。

そう前回の日記で書かせていただきました。
これを実現するには、心から信頼できる人とデザインの話をするということが前提になってしまいます。デザインという、特殊な世界のことがある程度わかり、心に届く会話が出来る存在。考えただけでもハードルは高いですよね

簡単にはやっぱり見つからないかもしれませんね。
でも地道に探していけば必ず、いると思います。自分から探さなければ見つからないということも確実にいえると思います。

ただ、それ以外にもたくさんの心に残る言葉というのは、デザイナーはもらっているんです。でも、そういう言葉が自分の中で時間と共に風化してしまっているんです。これを思い出すことが出来るだけで、かなり自分の歩んできた軌跡というものを信じていけるのではないかと思う次第なのでした。

今回は、そんな何気ない言葉に焦点を絞って綴りたいと思います。

わたしは、会社員の時から比較的規模の小さな会社に勤めていたのと、現在の自分の会社もひっそりと経営しているということもあり、今まで協力させて頂いたクライアントさんは非常に規模感がばらけています。上場企業もあれば、一人で経営されている個人会社などなど。本当に十人十色のケースでお手伝いさせて頂きました。

比較的小規模で経営されている、会社さんのグラフィックを担当させてもらった時、とても素晴らしい言葉をいただけました。

「家族によろこばれたんだよ〜」
「お父さんの仕事ってかっこいいんだね。っていわれちゃったよ〜」
「子供が喜ぶと嬉しいよなあ。小さい会社だけど、がんばってきたかいがあったなあ……。」

そういう言葉を頂いたことがありました。そして、
「本当にありがとう。お願いしてよかったよ。」
と言っていただけたのです。

何気ないエピソードなんですけど、わたしの記憶には鮮明にこの時のことが残っています。役にたててよかったなと、今でも思い出すと強くそう思うのです。本来、プロというのは作ったものが何らかの成果をあげなくてはなりません。そしてその成果というのは、クライアントの経営戦略によって導きだされているのが通例です。

でも、こういう役立ち方というか貢献の仕方もあるんだなって、そのとき思えたんです。社長さんのメンタルケアになって、気持ちよく仕事をしてもえ、結果業績アップにつながるのではないか。そんな感覚を持てたんですよね。

そう思うことで、本当に何気ない会話の「感謝の言葉」が、私の中で大きな価値をもったものとなりました。言葉は、ちょっとその裏にあるストーリーを感じてあげるだけでこれだけ大きく価値が変わるんです。

プロにとって、感謝の言葉というのは、最高の「褒め言葉」なんです。

素敵な褒め言葉を風化させないために、そのバックヤードを感じてくれるといいと思います。そうすることで、しっかりと自分の記憶に刻まれて、苦しくなったときや迷ったときに自分の功績を振り返ることが冷静にできるようになると思います。

プロとして歩んできた時間というのは、必然です。
積み重ねの時間には、きっとたくさんの真実があると思うので、そんな宝物を大切にしていってもらいながら、日々の激務に立ち向かっていってもらえたらと思う今日この頃です。ちょっとおやじくさい日記でしたw

デザイナーという生き物。

(旧ブログからの転載記事)

わたくしこの仕事を始めて10年以上が経過しています。
その間いろんな方とお会いしてきました。
そこで思うのがやっぱりデザイナーやっている人は変わり者が多いなということ。

どんなところが??
そうですね〜。

一番特徴があるのが、コミュニケーションの取り方かな。

「オウム返し」
「yes.but」

というコミュニケーションがとれない人が圧倒的に多いと思いました。

同業として、ちょっと擁護させてくださいね。
これには、訳があります。

プロのデザイナーというのは、やっぱり常に競争を求められてしまうのです。
社内であろうと、社外であろうといつもです。

そんなのどんな職種も一緒じゃん!
と思われる方もたくさんいらっしゃると思います。おっしゃる通り、仕事というのは常に競争から逃げる事はできません。ただ、少しだけデザインの仕事の競争は違う部分があります。それは、凄くフィーリングに依存したものを見せるという認識を、創る側も見る側も持っているということです。これはどういうことかというと、デザイナーが創った作品は、その作り手の人間性にまで判断が及んでしまうというプレッシャーがあるのです。

例えば、好きな音楽があるとします。
それを友人に勧めたら「そんなダセーの聞いてんの?やばくね??」と言われた事を想像してください。皆さんも少しこういう経験をお持ちの事と思います。自分が凄く良いと信じたものを全否定された時って、すごいショックですよね〜〜。なんだか全人格まで否定されているようなショックをうけてしまうのではないでしょうか?

デザインを人に見せるというのは、かなりこの感覚に近いものがあります。
お金がからんでいるので、駄目だしされるときはかなり辛辣だったりもするのです。
そんなときデザイナーたちは、怒りに震え、自分の力に落胆し、情けなさも襲ってくる。そんな感情にさせられてしまいます。

みんな、どんな作品も一生懸命創ってるんです。
愛情もたっぷりと注いで。

だから、見た人からの軽い駄目出しでも、ガチーーーーーーーーンときてしまうんです。
ものすごく脆いんですよね。

もの凄いパワーをつかって人に見せているんですよね。

そして、そんな事を日常でたえていくには、自然と防御本能が働くんでしょうね。
デザイナーは極端にコミュニケーションのプライオリティをカットしていきます。

そうして作り上げられた、プロテクタースーツをガッツリ着込んで仕事に励んでいます。
だから、ちょっと不思議な対応しても、皆さん是非びっくりしないで、暖かくみまもってくれたら嬉しいです。

実はみんなすごくピュアなんですよ〜〜。
悪いヤツはそうそういませんよ。

デザイナーにとっての金言。

(旧ブログからの転載記事)

お世話になったクリエイターさんと会食をさせて頂いたときのお話です。
クリエイティブのお話満載だったし、音楽のことなど色々とお話させて頂けてとても楽しい時間をすごさせてもらいました。

そこで、とっても素晴らしい金言とも言える言葉をエピソードで聞かせてもらえ、私自身もすごく共感でき、改めて意識を持つ事ができた言葉がありましたので、是非ブログで紹介させて頂きたいと思いました。

その方は、絵の勉強をされていて、プロの下修行をしていらっしゃったそうです。
そのお師匠さんがおっしゃっていたという言葉。

五感は繋がっているから、全部をのばしていかないといけない。

これは、深い。
深いし、まったくその通りなのです。デザイナーという立場で考えてもまったくこの原理というのは普遍ではないでしょうか。デザイナーという職業は、自分の感覚をフル稼働した情報を作品に落としていきます。言い換えれば、日々の何気ない情報収集がとにかく重要で、何らかの情報が自分自身にインプットされていないものは表現できないのです。

そこで重要なのが、日々の生活です。
なにげなしに聞いている音。
春の匂いを感じながら何気なしに見上げた空。
おいしいものをたべた時の感覚や、みた時の感覚や匂いの感覚。
そして何かに触れてみた時のインパクト。

こういった誰でもが日々感じている事からいかに多くの情報をインプットしていけるかに、デザイナーの引き出しの多さは影響されます。

上述のたとえでも分る通り、人というのは、意外に五感というのはフル稼働しながら情報を収集しています。だから、どの感覚も一緒に研ぎすましていかないと、感覚というのは発達できないのです。逆に常に五感を意識した、情報収集が出来れば、ごく自然にデザイナーとして必須である感覚の鋭敏さというのは身についてくるんです。

ひとつでも多くの情報をストックする。
それはクリエイターにとって生命線です。

でも、膨大な情報をストックすればするほど、情報の抽出というのは難しくなります。せっかくもっている引き出しも、必要な時に開けられなければ意味がありません。

そこで、またまた金言がありました。

「毎日の会話は、流行言葉ではなく、自分の単語でしていきましょう。」

これも深い&共感です。
私が先日書いた日記「円滑な仕事の進め方」でも触れました、言葉を発する大切さを非常にシンプルに表している言葉ですね。人というのは、教わった事や思いついた事などを口に出して人に説明すると、脳の中での情報が最適化され完全に記憶されるといいいます。人に伝える行為が一番自分の中での理解度を上げるという行為に直結しています。これは心理学などの統計でもそのような結果が出ているんだそうです。

自分の言葉で会話をするというのは、まず、自分の中にある情報を言葉という、形に具現化する作業を頭の中で行います。ピタッとはまる言葉に集約するということは、余計なものがそがれ情報が最適化されたという事に他なりません。そして、その言葉を他の人に口から出して伝えるという行為を行う事で、情報が完璧に脳にインプットされるという流れを同時に出来るまさに一石二鳥の行動なのです。日常の会話で、この作業が出来れば膨大な情報を整理整頓しなが蓄積できるという、目から鱗な行動なわけです。

もちろん、膨大な情報は、自分で選んだ「言葉」というキーワード付きでストックされるので抽出も簡単に出来る様になります。ソーシャルブックマークなどでいうタグみたいなものですよね。

この様な自分の脳=データベースを最適化した形で情報コントロール出来る人は、自分の言葉で何かを伝える事が必然とできるようになり、プレゼンテーションも上手になり「円滑な仕事の進め方」でも書いた、良いデザイナーはコミュニケーション上手という図式もなりたつわけです。

情報の集め方やストックの仕方。
クリエイティブでは本当に普遍なのだな。

そう確信出来ました。
大切な金言を頂けたことに感謝し、この伝達も強く意識しなくてはと思った今日この頃です。

良いデザイナーでいるためには。

(旧ブログからの転載記事)

良いデザイナーでいるためには。
すごく難しい課題ですよね。

私自身の私見ではありますが、いろんな要素があると思います。
10年以上やってきて思うのは、まずは気持ちの持ち方なのだと思います。
今日はブログなので、あまり技術面などの専門的な事についての明言はさけます。
プロだから技術を磨くなどということは当たり前なので。

ではでは、
気持ちのもちかた。
それは一体どんなことなのでしょうか?

デザイナーというのは、「みんな上手くなりたい」とか、「喜んでもらいたい」という気持ちを強く持っています。そのために、貪欲に上を目指し、センスと技術を日々磨いています。ただこのストイックさが、長く続ける上で諸刃の剣となります。努力するが故に、様々な葛藤を抱え悩むこともたくさんあるんです。

悩みに入った時や、自信をなくしかけた時、そういうときは得てしてプロとしての存在意義を見失っているときなんです。プロって何?そういう自問自答に答えられない時が、迷ってしまっている時といいかえられます。

プロとしての意義。
それを思い出せればだいぶ光がさすのですが、プロの意義についてまた改めて綴ります。

今日の日記でいいたいのは、人というのはそんなに強いものではないということ。
当然悩みも不安も持ってしまいます。自己を回帰するだけではコントロールできないことの方が多いはずなんです。

そんな時は、どうしたらいいか???

答えは簡単です。
周りの人に甘えましょう。

ここでいう甘えとは、何でも仕事を助けてもらう事ではありません。
ここでいう甘えとは、自分の良さを伝えてくれる人とたくさん話をしましょうということです。自分で自分の良さや力量がわからなくなったら、それを分っている人に言葉でつたえてもらえばいいんです。

簡単にいうと、デザイナーとして高いモチベーションを維持し続けるには、その気にさせてくれる人を周りにつくっていくということです。上辺のおせじは心に響きませんよね?むしろ警戒心を強くしてしまいます。だからきちんと自分の心に言葉を届かせてくれる相手を見つけてほしいのです。

もし、そんな人があらわれたら、デザインをやっている方はとてもラッキーと思います。それだけで、デザイナーとしての寿命が格段にのびたといっても言い過ぎではないと思います。そんなラッキーな人は、いかんなくその環境を利用してください。
きっとまた、楽しく仕事できるようになってくると思います。

たくさん自分の良さを教えてもらってください。
そのような甘えは、決して恥ずかしくないと思います。
そして、同じ事を人にしてあげましょう。
そのありがたみを理解していれば、同じ事がきっとできると思います。

最後にわたしから一言。
プロとしてクリエイティブを長く続けるというのは大変なことです。
規模とか立場は関係ありません。続ける事自体が大変なことだと思います。
5年、10年続けてきている方は、本当にすごいことなのだと思って頂きたい。
まぐれや惰性ではきっと続けてこられていないはずです。

プロは人から仕事を頼まれなければ成立しません。

頼まれるという事は、その時点でそれまでの努力や、もっている才能を評価されているということに他なりません。だから、間違いなく才能もあり、努力もできているのだと思います。そういった現実をきちんと知りましょう。デザインが好きなら尚更です。

喜んでくれたお客さんや、褒めてくれたまわりの人。
そのひとたちの期待にこたえるための第一歩は、自信をもって胸をはることです。

誰でもそうですけど、自分がおすすめする人には自信満々でいてほしいものですもんね。

競争の激しい世界で、挫折した若い子をたくさんみてきました。
一人でも多くの人が、楽しくデザイン出来る事を祈りつつ締めたいと思います。

たくさん周りの人に褒めてもらって
がんばれ。

きっと出来るぞ!!!

好意と義務の境界線

(旧ブログからの転載記事)
今回は、好意と義務の境界線について書いてみたいと思います。
よくこんな事があります。

友人・知人:「チラシとかwebをつくりたいのだけど相談のってくれない?」
わたくし:「ほほう。」

友人・知人:「言いにくいんだけど、予算全然ないんだよ」
わたくし:「ほほう…。」
わたくし:「わかったよ。そうしたら幾らくらいなら用意できそう?それによってどんな事が出来るか決めていこうよ。」

友人・知人:「「本当悪いね。5万くらいならだせるけど…。もうかったら必ず追加でだすよ!」
わたくし:「・・・。わかった。じゃあそれで何とかしよう。その金額だと仕事の合間をぬってやるしか出来ないと思うけど構わない?」

友人・知人:「いいよ!全然それで。じっくりまつから。助かるよ。」
わたくし:「正直どのくらいのペースで仕事出来るかわからないから、時間の部分は本当に約束出来ないからね。あと、内容もある程度こちら手動でいかせてもらうけど、いいね。」

友人・知人:「全然大丈夫。全然大丈夫。もうまかせちゃうよ!」

というようなやりとりが行われ、仕事が発生する事がすごく良くあります。
同じような制作仕事をしている方には耳が痛い内容なのではないでしょうか。
同じ経験したことあるひとたくさんいると思います。

丁度、この前友人と食事していたら同じ事ですごく悩みつかれていました。

まあ、まわりくどい言い回しで表現しましたが、ようはお金ないから無料もしくは破格の値段でデザインしてくれないというような内容のオファーを平気でしてくる、友人・知人というのは後をたたないのです。

デザイナーをはじめ、ものづくりをしている人間というのは、「期待されること。」「たよりにされる。」という行為にめっぽう弱いのです。常日ごろ自分のデザインで誰かを喜ばせたいと思い、それをモチベーションにして、人間とは思えない激務にも耐えているのです。
ですから、上述のような「こまってるんだ。」「他にあてがない。」というようなシチュエーションになると、もう断るという行為は殆ど不可能になってしまいます。断るどころか「俺が(わたしが)何とかしてやろう!」という気持ちが、ふつふつとわいてきます。
そうして「まかせておいて。」という流れになってしまうのです。
ここまでなら、困っている人を助けるという意味合いで、ちょっとした美談ですよね。

んが!!!
そんなに世の中というか、人間は甘くないのです!!!
だいたいこのような仕事をうけると、典型的なパターンに陥ります。

1. 容赦ない(数えきれないくらい)デザイン修正の要請
2. 予算がないということを忘れて無理難題をおしつける
3. とどめは催促という口撃

まあ、こんなやりとりが発生します。↓↓↓
デザインをだすと……。

「もっと写真とかイラストとかバンバンつくっていれてくんない?地味だよ。」
「なんか文章変じゃない??」
「もっと○○(←一流ブランドをみて)みたいになんない?」

こんな事を発言し、

「っていうか、さすがに待たせ過ぎじゃない?仕事なんだからちゃんとやってくれないとさ。こっちも金払う訳だし。明日までに頼むよ。」
というコンボが炸裂することも多いですよね。

これ、ぶっちゃけ本当に言われた事あります。リアルですね。

仕事の合間で、ただでさえ少ない睡眠時間を削って頑張った極限の疲労状態にこのような事をいわれると、もうガックリするだけであんまり怒る気力もわいてきま せん。もう言われるがままにやるしかない状況になり、ものすごく心身を痛めつけながら何とか終わらせるのです。当然この類いの人たちは、感謝するという感情が欠如しているので納品してもお礼はいいません。お礼すら言えない人間なので、約束の追加料金なんてでるはずもありません。

そういえば、こういう仕事引き受けて、ギャラは何もだせないと泣きつかれた事がありました。軌道にのったら払うからと言われてもう3年たつ事例があります。当然釈明もないし一円も貰っていないのでした…。

終わった後、
どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。
そもそもお金ないから助けてくれと言われたんだよなあ。
困ってるならと思って好意でやることにしたんだよなあ。
何故感謝される行動をとっているのに文句言われなければならないのだろう。
よく図々しく催促なんてできるよなあ。
途方にくれてそんな事を悶々と考えます。
これが、好意と義務の差なんです。
相手はどんな金額だろうと対価を保証するのだから、制作者に対して意見する義務があるという感覚をもちます。制作者は、普段ならこんな金額では絶対にうけないけど、こまっているみたいだから一肌脱ごうではないかとい好意をベースに考えます。
これは絶対に埋まる事のない溝ですよね。
そりゃあ意見食い違うのは当たり前です。
どちらも正論で正解だと思う。
価値観の問題なのだと思うし、おかれている立場によるところも大きな要因といえますよね。
ならば、どうすればいいのか???

簡単です。
こういう類いのオファーを出すひととは関わらない。
仕事は受けないという事を徹底すれば良いのです。
上述の通り断るのは大変なので、関わらないというのが一番安全です。
よくみればこういう人は共通項がたくさんあるので、慣れると比較的接点をもたないのは簡単です。関わらなければ、ストレスをためながら断ったり、そんなの受けなければいいじゃん!とまわりにお説教されたりすることもなくなるんです。
長い事この仕事してきて、確信をもっていることがあります。
こういうオファーだしてくる人は、かなりの確率で確信犯なのです。
制作者の弱いところをついてきくるとても狡猾なやり口なのです。
人として持っていなければいけない大事な何かが欠落している人が多いのです。

すごい悲惨な事例だと、
さんざん作らせておいて納品してお金の話しようとしたら「払えないよ。友達なんだからこまってるの助けるのって普通じゃない?」そう言われてもみ消された友人もいました。
嘘のようで、本当にこんなことは日常茶飯事に行われています。
デザインというのは一見仕入れ等も発生しないようにみえるので、価格も含めてたたきやすいんでしょうね

残念ながら、好意と義務の溝はうまりません。

己を守るのは己のみ。

断る事も誠意のひとつ。

苦しんでいる制作者の方には、是非この言葉を知って頂いて、大切なクリエイティブタイムを守ってほしいと思います。

TOP

JkZero7

Art Director & Graphic Designer
I love Mac,iPhone&iPad.
グラフィックデザイナーをしています。
日々の出来事や思ったことをゆるめに綴っていきたいと思います。

※本ブログは、自分の複数あるブログを統合するために開設しました。過去の自分のエントリーからも転載することもあります。

※本ブログは、自分のデザインではなく、WordPressのお勧めテーマを使用させて頂きました。