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Chromeの初音ミクCMでワクワクしてしまった理由

少し時間がたってしまいましたが、何日か前にChromeのCMに初音ミクが起用されてネットで話題になっていました。
ご覧頂いた方も多いと思いますが、その映像を早速リンクしますね。

あれよあれよという間に12月22日現在で再生が100万回を超えていて、注目度の高さがうかがえます。

このCMを見て僕自身はとてもワクワクして興奮してしまいました。
その興奮の理由は当然色々あると思うのですが、やっぱりレディガガなど、有名アーティストなどを起用し続けていたChromeのCMに日本が生み出した 「初音ミク」が肩をならべて評価をしてもらえたという、純粋に「やったな〜!」という喜びがとにかく大きかったからだと思いました。

上記の動画の解説によると初音ミクとは

“初音ミク”は、誰でも自由に歌わせることができるバーチャル・シンガーです。
音楽のみならず、イラスト、映像、CG、コスプレ、生演奏、ダンスなど、ウェブ発の爆発的なN次創作ムーブメントを生みました。3万曲以上のオリジナル楽曲をはじめ、ウェブを通じて、初音ミクを使った無数の作品がいまも発表され続けています。無数のクリエーターが起こしたムーブメントを通じて、ウェブの可能性をご覧ください。

となっております。
もともとDTM用のVOCALOIDソフトが、初音ミクというきっかけをつくることで、音楽という枠を超えて様々なクリエイティブのジャンルで利用され、しかもそれらがマッシュアップするという独特の創作文化をつくりあげていってしまうわけなのです。

誰でも自由にというキーワードで、沢山のクリエイターが素晴らしい作品を創り出し、それらがマッシュアップして更に昇華されるという胸熱な現象が、chromeの可能性を訴求するためのコンセプトとシンクロするという絶大な評価をされていることが何より嬉しいです。webの進化による環境の変化がこれだけ日本のクリエイティブ環境を激変させて、しかもそれが評価されるところまでやってきているということは、僕らの世代では考えられませんでした。この変化はものづくりに携わる人間なら胸が熱くなると思います。

今回のCMは、単純に創作を楽しみ、世界中の人と共有しあう。そして、それが自然に評価され結果、無限のチャンスをつかむという、まさにクリエイターにとって理想的な軌跡のカタチが凝縮されている、まさにワクワクするCM構成になっているのです。

これを見たクリエイターは、良い意味で嫉妬心がうまれて、もう創作したくてしたくてたまらなくなるのではないでしょうか。
僕も久しくプライベートでは創作活動をしていませんが、イラストとかガンガンかきたいなとか、沢山のモチベーションがうまれてきました。

今回のこのCMに代表されるように、やっぱりクリエイティブは作り手同士だったり、見る側だったり、立場関係なく色々な人が共有することで沢山のエネルギーを生み出すのだということが実感できたのも嬉しい要因のひとつですね。

これからも、こういった共有から生まれる素晴らしいクリエイティブを沢山みたいし、自分もその中に入っていけるようにがんばっていきたいなと思ったのでした。

レイ ハラカミ(Rei Harakami) という偉大な才能にありがとう。

2011年7月28日。

僕にとってはとても忘れられない日になりました。

大好きなアーティスのレイハラカミさんが急逝されたという訃報が入ってきたのです。
最初にその情報を見たのはTwitterでした。ハラカミさんは一昨日まで元気につぶやきを投稿していたので、悪質なガセネタだと憤っていました。でも、だんだんその情報の信憑性が高まってきて、とうとうオフィシャルの発表となり、ハラカミさんが亡くなられたという、信じられない現実をつきつけられることになってしまったわけなのです。ブログを書いているこの瞬間も、その現実がリアルでなく何ともいえない喪失感で一杯です。

皆さんそれぞれ、憧れを抱いていたり、絶大な影響力をもっている方というのがいらっしゃると思います。
僕にとってレイハラカミというアーティストは、その絶対的な存在の一人でした。

僕はグラフィックデザインの仕事をしています。
かれこれ15年以上、デザインの仕事を続けさせていただいています。こんなに長く続けてこられた要因として、僕がいつも感じていることというのはテクノとかエレクトロと呼ばれる音楽が与えてくれた力をはずすことができません。

僕は若い頃は、凄く頭でっかちなデザイナーでした。
知識がなければ良いデザインはできないとか、プロとしてのルールを踏襲しているものが良いクリエイティブ。
おっ!と思うパンチ力のあるデザインでも、あらを探してプロのルールに準拠していないからダメなクリエイティブだとさげすんでしまう、デザイナーなら誰もが通るであろう、 良いものはどんなものであれいいものなのだと簡単に思うことができない、病気に完全にかかっていました。

当然そんな病気にかかった状態は、精神的に窮屈で、そんな中でデザインをし続けるというのは本当に自分の持久力との勝負という消耗戦になっていたと思います。凡人の僕が場違いに一回賞をとってしまったということも、その病気に拍車をかけてしまい、とにかく自分は良いクリエイターでなければいけないと極度の緊張状態に自らを落とし込んでしまっていました。なので、あの状態が続いていたら恐らく僕は、この仕事やめていたと思います。当時は苦しいだけで何も物づくりの楽しさがわからなくなっていましたので…。

そんなときに、たまたま周りの仲間達がテクノの音楽とかを教えてくれました。
何となく興味をもつことができたのです…。そこでいろいろきかせてもらって、体に電撃がはしるほど衝撃をうけたのが、レイハラカミさんの音楽とOrbitalの曲でした。音楽をきいてあんなに情景がリアルにみえることがあるのかと、心の底からしびれてしまったのです。

自分は音楽オタクではなく本当に何の知識もありません。
だからレイハラカミさんの音楽とかの何が技術的に素晴らしくて良い曲なのだということをジャッジすることはできません。
でも、直感的に本当に“良い曲”と感動している自分が間違いなくいたのです。

よくわからないけど、とにかく良い!素敵だ!と思ったのです。

こういう感覚というのは、当時の僕からすると考えられない発想でした。常にクリエイティブを判断するのは知識とか自分のもってる情報を尺にあわせてジャッジするという病気にかかっていたので、そういう直感で喜ぶという、人としてごくごく自然な感情を失っていたのです。

そっかぁ。本当にいいものって理屈ぬきでいいもんだよね。
何でなにから何まで理屈でジャッジしようとおもっていたのだろう?と、何気なしに自分のおかしい部分を受け入れさせてもらうことができました。

これって本当に僕にとっては革命的な出来事だったんです。
それからは、良い意味で力を抜くことができるようになって、明らかにデザインに対する取り組みも、デザインの質もかわりました。
だからこの年齢でも若い子たちにまじって現場にいられるのかなって思います。

いまでもずっと、つかれたらハラカミさんの音楽きいて、脳みそをトロトロにやわらかくするというのが、僕の日課的になっていました。

ちっぽけな自分という存在ではありますが、僕という一人のクリエイターの物語を語る上で絶対にはずすことはできないの人物の一人がレイハラカミさんだったというわけなんです。なので、今回の訃報というのは悲しいし、本当に喪失感もあり、何か説明できない感情でいっぱいです。

ひとつだけはっきりいえること。
日本が世界に誇ることができる才能のひとつが、また逝ってしまったということ。
大変な損失だと思います。twitterで、同業の方だったり各クリエイティブ業界の大物たちが本当に残念がっているという光景を目の当たりにしました。一流は一流を知るというやつですよね。まさにその損失の大きさを痛感しました。それを見てさらに喪失感が大きくなりちょっと仕事がてにつかず、思わずブログを書いてしまっています。

レイハラカミさんの曲をレコメンドするときに、僕は、とってもみずみずしい宇宙旅行ができるよといいます。
ちょっと、頭がおかしい表現ですが、きいてもらうとその情景がくっきりとみえると思います。
プラネタリウムでレイハラカミさんの曲が採用されていたのは伊達ではないというところが一瞬でご理解頂けると思います。

そんな表現が通じてしまうクリエイターは、そんな簡単に現れないですよね。
素晴らしい才能に出会うことができたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも微力ながらではありながら、素敵な影響をたくさんもらえた恩返しに、精一杯デザインを頑張りたいと思います。

乱文ですみません。

本当に忙しい??第二回

本当に忙しいの??

上記の続きを書き綴りたいと思います。
忙しいという姿についての考察です。

本当に仕事が忙しいのか?
実は不満があるだけで忙しいわかではないのではないか?

そんな仮説を自分自身の経験則からたてて、社内で色々とヒアリングしました。

忙しいかい?と訪ねると、光の速さで忙しくて目が回ってるとの答えw
そうか。そうか。と相づちをうちつつ、どんな作業がたまっちゃってる?と質問を追加しました。
そうしたら、あれとこれとあれ、という感じで何個か案件の説明をしてくれました。

そこで意外な空気が…。
言った本人が、あれ?意外に仕事すくなくね???????
と、明らかに察している空気になったのです。

その空気に耐えられなくなったのか、ただ、あれもこれも調べたりしなくちゃいけないとか、しまいにはクライアントに電話しなくちゃいけないとか、そんな部分までタスク化するというw

たぶん、苦痛な気持ちと実際の現実の仕事の量のギャップに気づいて、あわてて保身のために追加していって、頭が整理されていなからもう日常業務的なものまでが重い仕事に入ってしまうという状態になってしまったのでしょう。

案の定、「量」という尺度ではかったときには、たいして忙しくなかったんです。
これは思っていた通りで安心しました。
ただ、真正面から受け止めなければいけない現実も露呈しました。

それは、会社や仕事に対する不満が、MAXだという現実。
これはこれで物凄い重いことですよね…。

ただ、 そういう現実が色々わかるのはとってもいいことだと思うので、まずはそんなに忙しくないけど、何か不満につながるような要点がある。だからそれをつぶしていけば、今の仕事量をこなせているのに元気もりもりになるはずだから、その問題を探してとにかく解決して元気モリモリになろうよということを伝えて色々と現状の把握をしていきました。

スタッフが抱えていた問題は、ずばり頭を休ませてほしいというところでした。体より頭の休息を欲していたんです。
話していて感じた事なのは、やっぱり、頭を休ませるタイミングがないの環境が如何にストレスうんでいってしまうのだということでした。とくに僕らの仕事はクリエイティブな仕事は、あまりにも連続でアイディアとか知恵の部分を酷使すると、あっというまに脳に疲労がたまってきて極端にストレスがたまっていくのだと思います。

本来なら、仕事がおわってからの時間。あと土日だったりのお休みの時間。
その時間を使って頭をきりかえ、そして休めていく。
社会人の皆さんはそれを当たり前のようにやられています。僕らもそれは例外じゃないのです。

ただ、本当にクリエイティブの仕事は頭を休ませるのは難しいのです。
たとえば雑誌やドラマや音楽、リラックスするためにみていても、デザインのアイディアに直結する情報探しを常にしている緊張状態を続けてしまうのです。わざわざそんなことをしてしまう…それが、クリエイターという生きものなのです。常にオンの状態を自らつくってしまう上に、スイッチの切り方をまったく知らないのです。

あとは本人に常に緊張状態を自分でつくっているという自覚症状も全くないということも特徴です。
なので、土日や仕事のあとのリラックスで解決できてなくてどんどん頭の疲労とストレスがたまってきていることにも気づけないのです。
これは残念ながらどんなに第三者が口で説明してもわかってもらうことはできないと思います。それはそうですよね…。本人に自ら墓穴をほっている自覚がないのですから……。

スタッフにそんな話しを説明して少し仕事をセーブして自分の時間を大切にしなさいという話しをして残業禁止令なども発令しましたが、わかったわかったと口ではいいつつ、本人に自覚症状ないのでまったくの禁止令などどこ吹く風のシカト状態で仕事しつづけてました。←どんだけ僕の威厳ないんじゃという話でもありますがwww

ただ、間違いなくダークサイドまっしぐらで、イライラとテンパリはさらに増幅という日々がつづきました。

ああ、これは口でいってもだめだ。
さとりましたねw

でも、そんなだからこそ、やはりこれは周りの人間がケアするしかないのだと思いました。
いま色々試行錯誤です。ときに強権発動し、リラックスタイムをつくらせたりと模索中です。
お盆の休みも今年は長めに設定しました。なんとかここでぐいっとリラックスを癖にさせたいと思ってます。

ちょっと脱線してすみませんw
すべてを忙しいでくくるのではなく、こうやってきりわけていくと大きな問題があったりはしますが、目的はみえるので対処はしやすくなると思います。忙しいという言葉は本当に魔法の言葉。すべてをこれに紐づけてしまえばいいという雰囲気にすぐなってしまいます。本当に忙しくて苦しい部分は必ずあります。だから、色々と棲み分けてとらえ、問題として定義してきちんと解決して、本当に忙しいという部分を正面からうけとめていけるようにしなくてはいけないと思いますし、人間は結構すごくて、かなりの量の仕事を処理苦痛なくできるもの。そのためには心身が元気モリモリじゃないといけないので、その大切さをみんなで共有して助け合うことが大事なのではないかなと思った今回の出来事でした。

デザイン絡みは何故もめるのか? 第二回

昨日見事に脱線に次ぐ脱線で終わってしまった、
デザイン絡みは何故もめるのか?」 の続きを忘れないうちに書いていきたいと思います。

まず、また脱線することがあることは容易に想像出来ます。
その時はまた続きを書いて、いつの日か必ずオチをつけたいと思っています。キリッ

前回のエントリー最後に戻りつつ再開させて頂きます。
実はもめる時というのは、その前に決定的なことが起こっていて、これから述べるような状況があった場合は必ずあとでもめます。

それは…。

打ち合わせの時に、デザインについて共感し合ってもりあがって意気投合しちゃったりしたときです

そうです!
意識を打ち合わせの時に共有しちゃたったりした感覚をもってしまうと、まことに残念ではございますが、凄い確率でもめるんです!

何故???
仕事を発注する側とされる側で同じ意識を共有できるなんてとっても素晴らしいこと!
なのに何故?何故共有感をもつことはマイナスの方向に運んでしまうのでしょうか…。

それは、とても簡単です。
何故ならそれは勘違いだからです!!!!

えええええええ!!
と、なりそうですが、これは残念ながら事実なのです。

よく考えてください。
クライアントさんはデザインのことがよくわからない、もしくは出来ないからプロにお願いするわけですよね?そして、いいかえるとデザイナーはデザインのことがわかっていて、つくることが出来るから発注してもらえるわけですよね?

片方はデザインのことをよくわからない。
そしてもう片方はデザインのことを深く理解している。

そんな両極端に位置している人が、ちょっとブレストしただけで価値観が共有出来るわけがないんです!!わけなしです!!

スレッガー中尉もいいました。
「悲しいけどこれ戦争なのよね。」

この台詞と同じくらい哀愁をこめていえると思います。
デザインってそんなに簡単に共有感をもてるほど甘くないです!!!!

お互い盛り上がって意識を共有できていると勘違いしたところから仕事をスタートさせて、実際に形になってきたときに本当のギャップに気づくわけなんです。そりゃあ、腹もたちますしイラッともしますよね…。

信じていたのに…。

となってしまうんですよね。
しかもそれが、双方そう思ってしまうので、これ厄介なのです。どちらもギャップに衝撃をうけて悩んでしまっているので上手くまとまるものも感情的になりやすく簡単にこじれてしまうのです。

そんなバックボーンのもと、前回の日記にかいたようなあるあるシチュエーションになったら…。

アワワワ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

だから、くれぐれも最初のブレストの時に
「アップルのデザインいいよね〜!」
「自分もアップル好きっす!ぱねーーっす!」
「おれ、アップルみたいなブランディングしていきたいんだよね…遠い目」
「その考え方素晴らしいっす!自分も是非そこにむけて協力させてください!!!」
「おお!同志よ!!」ガチッ!←熱いシェイクハンド

なんていう適当でDQNなもりあがりだけで終わる打ち合わせはしないようにしてくださいね。
シャレ抜きで、得てして揉めるときって最初の打ち合わせは盛り上がっているものなのです…。

制作物というのは、必ずつくる目的があります。
その目的が何か?
最短・最速 でそれを達成できる方策は何か?
当然ターゲットや商品など、いわゆるマーケティングにおける4P的な要素をふまえて作られていかなければならないわけです。

なので、そんな簡単に共有意識なんて生まれないはずなんです。
関わる人たちがみんなで知恵を絞り出していって苦労に苦労を重ねてはじめて共有感というものは生まれるんです。

そうやって生まれた共有感のもと制作物がつくられた時は、本当に良い作品が出来ますし、関係者がもめるなんてことはおきないんです。逆にもめるときというのは、価値観や意識がそれぞれ一人歩きしてしまって共有感が構築出来ていないということができます。

これが本当に難しいんですよね…。
お互いがあゆみよらないと出来ない関係なので…。

お金を出す側と出される側。
作る側と作ってもらう側。

それぞれの主観が人間交差点クラスの複雑さで相まって来ますから…。

ただ、完全に回避することは難しいと思いますが ケアすることはできます。
そしてケアの積み重ねが回避への唯一の道程だとも思います。

これはどんなことにも言えると思いますが、何かを生み出そうと言うときに簡単に上手くいくことは少ないです。
怖いくらい簡単に物事が運んでしまっているときは、少し冷静になって状況を把握してみましょう。

自戒もこめて綴ってみました。

良い作品作りのために、これからもがんばるぞ!!!!

まあ、もめるもめないってもっと色々ありますけど、一つの例でした。
また色々書いていきたいと思います。

と、強引にオチをつけてみたのでした。ww

デザイン絡みは何故もめるのか?

心を入れ替えて、連日のエントリーです。

今日はデザインが絡んだ仕事は何故もめるのか?というテーマで書いてみたいと思います。

デザインを発注したりされたりという、仕事でクリエイティブを展開した場合というのは意外や意外(笑)で、もめて問題が起こること凄い多いです。ええ。凄い多いと思います。簡単に言ってしまえば、「デザイナーvsそれ以外の人」という構図で言い争いやらで険悪雰囲気になってしまうのです。時にはののしりあって本格的な喧嘩になって断絶なんていう、双方大人とは思えないくらいこじれることもあるのです。それ以外の人と表現しているのは、こちらの立場は時には身内のスタッフである営業だったりディレクターだったり、クライアントだったりと状況に応じて色々と入れ替わります。

何かこうやってあらためて字でおこすと、
デザイナーがようは悪いんじゃね?
っていうオチが簡単についてしまいそうですね……。

(´・ω・`)チーン

いやいや…。
ちょっとお話させてくださいませ。
これには色々と事情があるんです。

一旦シチュエーションを整理してみましょう。
例えば…。

文字の大きさなんてのは日常茶飯事ですよね。これは、完全にデザインの仕事あるあるです。結構コツコツと火種になりやすいポイントですが、まあ、この辺りのことでは言い争いには殆ど発展しません。

クラ「ここの文字読みにくいので大きくしてください。」
デザ「はい。わかりました。大きくしますね。」
… …………………………………………………
デザ「大きくしましたのでご確認ください〜!(102%にね。←心の声)
クラ「ありがとうございます〜。どれどれ。ん!んんんん?あ、あの大きくなってます?」
デザ「もちろん大きくしましたよ!(102%にね!←心の声+嘘ではないのでまあまあ強気)」
クラ「なるほどですね〜。もう少しだけ大きくしてくれますか〜。(ちゃんとやれよ!ぼけ←心の声)」
デザ「わかりました!(ちっ!ぺっ!←心の声)」

こんな感じでくだらない攻防が若干つづくくらいでもめるというほどのものではないんですよ〜。
では、どんな時がやばいのか?やっぱり一番多いのはデザインについてああだこうだと口を出されたときですよね。

例えば、使っている色づかい。
配色というのは、とっても奧が深いんです。
単純に 好みといった直感的な要素が強く影響しますし、オレンジは生命力を促進させるとか、心理学的な科学的な要素も強くあったりと、非常に多くの側面で気を使いながら決定していく、デザイナーとしてもかなり神経を使う場所なんです。凄くエネルギーを使ってきめていくので、その分ストレスも多くなります。配色ではまったときのストレスといったらそりゃあも酷いものですよ〜。僕なんかはストレスが酷すぎて凄い確率で下痢をしてしまうほどですw まあ、それはさておき、それだけストレスフルで繊細なポイントを簡単なノリで、この色好きじゃないかも。もっと違う色ためしてみてよ〜!何て言われようものならもう大変です。アンタッチャブルゾーンを鷲づかみですよ、鷲づかみ!これはもうめちゃめちゃリスキーなシチュエーションです…ぶるぶる。

あと、装飾や間につかってるスペースなんかについても口出しされた時もブルブル指数がMAXですね。
例えば、見出しの文字にドロシャ入れてとか、ふち文字にしてとか…。あと、隙間を見つけては、追加の情報を入れたがるとかね…。

その応用につぐ応用で生まれた必殺コンボがあります…

まず、「色が気持ち悪いので赤にしてください。あと見出しはふち文字にしてドロシャもいれて目立つようにしてくださいね。あと、ここの隙間がもったいないので、この文章追加しておいてください〜。」 と軽く追加しつつ、デザインにさんざん口をだします。

追加用の隙間ですが、どう頑張っても2行分しかない…。でも追加の文章はあきらかに10行分くらいある…ゴクリ…とデザイナーはなります。
そこで、当然デザイナーは「入らないですよ、こんなにたくさん…。え?入りませんよ。」と狼狽して懇願します。

ここまでくると機は熟したとしかいえなくパーフェクトな状態です。
そうです。あとはとどめをさすだけなんです。
そしてこう言われるんですよ。デザイナーは…。
「レイアウトとかデザインのことはプロにお任せします〜〜!」

(°Д°)ポカーン
ですよね。ぽかーんですよ。まったく!!
さんざんデザイナーの頑張りを全て無にすべくデザイン的な赤字を入れ続けた挙げ句、収拾がつかなくなったらプロにお任せ安心パック作戦なわけですからね〜。

これ、冗談じゃなくて、デザインあるあるすぎるくらいの決定的なシチュエーションですよ!

あれ?

いけないいけない。何故もめるのかですよね。今日のテーマはすっかり脱線してあるあるネタになってしまいました…。反省です。

話しを戻しましょう!キリッ
実はもめる前には事前にかなり決定的な状況が必ずあるんです。
キーワードは共有感なんです。
っていうか、これから本題なのですが、長文が酷すぎるので、本題は次回へ…。

ホントすみません。 すみません。

ノーテーマで書く日記

真夜中のブログ更新です。

さてさて、今日はいつにもまして、どんなことを書こうと考えてからブログにむかっていません。
タイトル通りで「ノーテーマ」です。

おまえはいつもキャラも違けりゃ、ネタにも一貫性ないじゃないか!!
と、速攻で突っ込みが入りそうですが、それもまたひとつの個性でいいじゃないか〜と強引に結んで先に進んでいきたいと思います。

何か今日は色々なことがあってブログにむかいたいな〜と思っただけです。
ホントそんだけ〜って感じです。むかいたいと思った割には、書きたいこともないんだな〜これが。

たぶんモンモンとした状態が落ち着かなくて、手を動かすことで何となく安心するんだろうなと分析してみたりしています。ただ、モンモンとしているので頭はからっきし動いていないという摩訶不思議な状態だということになりますね。

さてさて、ホントに勢いだけで文章とはどこまで書けるものなのかと若干トライアル的になってきていますね。でもお陰様で手を動かしていると心が晴れてきて何となく元気になった気がします。本当にブログはメンタルケアには重要なツールですよね。Twitterも激しく楽しいですが、ブログもやっぱり捨てがたいツールだと思います。

なんかデザイナーあるあるネタでも書いてみようかな〜って思ったりもしているのですが、ありすぎて書くことができないという感じですww
情報量の多さに自分のあたまのCPUがついていかないと容易に想像できてしまい二の足をふんでしまってます。少し余裕出来たら、またあるある日記かきたいなと思っています。

皆さんはどんなリズムでブログかいてるんでしょうね。

突然話題変えます。

最近は東京寒いですよね。雪降ったり…。
相変わらず体調を崩している人多いので本当にご自愛くださいね。

自分は2年前の丁度この時期ぶっ倒れて大変でした。
この時期になるとまだ思い出しますね〜。

元気でいることって大切ですよ〜。

ツイッター見てると本当にいつ寝ているんだろうとか、いつ休んでいるんだろうと思ってしまう多忙な人が本当に沢山いらっしゃいます。あまりのハードさにみていて痛々しさを感じ本当に心配になってしまいます。元気なら何でもできるので本当にお体はご自愛くださいね。

あまりの部屋の寒さにそんなことを思い出し、つづってみました。

そんなところです〜。おやすみなさいませ!!!

言葉の一人歩きは恐ろしい。

日本語というのはとても万能ですよね。
ちょっとしたニュアンスの違いも多種多様な単語を駆使して表現が出来る物凄いクオリティの高い言語の一つだと思います。ただ、そんな長所も最近はガッツリと短所にかわってきていると感じることも少なくないですよね…。

今日はそんなこんなで、言葉についてちょっと考えてみました。
何故そのようなことを思ったのかということなのですが、前回の日記でも少しだけ書かせて頂いたのですが、今年に入ってうちの会社はデザインコンペが続いているんです。コンペに参加して作品をつくっている時に凄くこの「コンペ」という言葉の使われ方に違和感を感じてしまったことがきっかけでした。

コンペというのは、wikiによると「competition=競技会」と定義されています。あと、優れたものを選ぶことともされています。優れたものを選ぶためにデザインをそれぞれにつくらせて競わせる。デザインコンペとは、簡単にいうとそういうことになるんですが、最近はこれってコンペなのかな?と思う事がよくあるんです。

では、実際にどんなときに違和感を感じているかということを簡単にまとめますね。

まず、与えられる情報が各社平等でないことが非常に多いという現実です。ある情報を知っている会社があったり知らない会社があったりという状況の中で平気でコンペが行われたりしているんですよね…。コンペとは上述のように優れたものを競わせるための機会なので、正当にすぐれたものを品評するには決定的に守らなくてはならないことがあります。それは、同じ条件でつくらせるということです。同じ条件でつくらせてはじめて優劣を判断出来るということは誰でも理解できることだと思いますが、そんな簡単な事すら守られない…最近のコンペではとても多くなってきている事象の一つなのではないかと思います。

各社、やっぱり仕事はほしいですよね。コンペは決まれば大きいですが、コンペの費用がでないのが当たり前になっている昨今では落ちたときのダメージは図り知れません。そのような状況下におかれていれば担当営業は少しでも有利にコンペを運べるように、個々に情報収集や裏取りに奔走するようになります。コンペは同じ条件であ争ってこそ成立するというフェアな精神はすっとんでいってしまうんです。

でもその心理はごくごく当たり前だと思います。会社を思う、協力してくれる人の事を思う、そういう思いが強くなればなるほど、有利になる条件はひとつでも引きだしたいと思う気持ちは普通に出てきてしまうと思うんです。

なので、できればコンペを発注する依頼者の方が、強い意志をもって対応して「同じ条件」という、コンペの環境づくりを徹底して欲しいと思うのです。依頼者にはその義務があると思います。その時のノリや各社の担当の人間との蜜月度合いで情報がかわるような環境しかつくりだせないのであれば、コンペという名のもとに争わせるのはやめたほうがいいと思います。

コンペといってしまえば、何となく格好がついて、参加者も簡単に集うことができるし、費用をかけずにアイディアを集うことが出来る、という安易な発想でつかわれている。よく言えば広義の意味でコンペという言葉が浸透し、わるくいえば何でもありの魔法の言葉化してしまっているんですよね。言葉自体が一人歩きしてしまい、意味が軽くなっている分、誰でもコンペコンペといいだす状況がとても増えていると思いました。

このような魔法の言葉ができてしまうと、いろいろなことをうやむやにして押し通す隠れ蓑がうまれ、不条理なことができてしまう環境をつくってしまうんですよね…。最近は担当者さんが独断で業者などをかえたいと思いたち、上司を説得するためだけの材料集めのために開かれる名ばかりコンペも多く、僕も実際にコンペに勝ったにも関わらず、話しがたちきえてしまった案件も結構ありますので…。

はっきりいわせてもらうと、依頼者側のモラルが破綻してるんですよね。しかもその自覚がまったく本人達にないという最悪な状況だったりするんですよね。コンペの費用ひとつにもそんなスタンスはありありとでていますよね。コンペの費用なんて払わないのがあたりまえ。何故なら仕事をあげるんだからね。業者は誠意を見せる義務がある。というスタンスなんですよね…。

コンペならコンペ。
アイディアだしの協力なら協力。
素直に話し合って取り組める環境がくるといいなと本当に思います。

そうすればもっと良いものも沢山うまれて良い循環くるはずなのにな…と青臭いことを考えてしまった今日この頃でした。

営業と制作は仲良くない?

結構ドキッとするタイトルで今回は書いてみようと思います。

営業と制作は仲良くないの?
これって結構制作やっている人も代理店などで営業をやっている人もピクッと思わず反応してしまうネタであることは間違いないと思います。何故ピクッとしてしまうのか…。それは物凄くシンプルで、みんな少なからずこの関係で悩みや思うところがあるからなんですよね〜。

で、実際どうなのよ?ということになると思います。
これは、誠に残念ながら
仲良くないですね (´・ω・`)チーン

厳密にいえば勿論気が合う人がいたり、同じ志をもって共に頑張れる人がいて仲良く頑張っている現場も当然あると思います。でも、それは正直人と人の出会いという意味でとてもラッキーな環境にいらっしゃる方だと思います。一般論というか、自分が今まで実際にいた現場だったり、聞いたり見たりしてきた印象では、殆どの現場で制作と営業というのは、双方が理解しあえず埋められない溝がどっぷりとあるイメージですw

営業とひとくくりに書かせて頂いていますが、実はクリエイティブの現場というのは結構役割が複雑です。営業の他にもプランナーやディレクターがいたり、同じ制作でも各セクションが存在したりと、かなり多岐にわたります。では何故あえて営業と書いているのかと申しますと、現場にいる人は結構こういう「営業VS制作」というイメージを強くもっているからなんです。色々な役割が存在し、各役割のプロが集まってプロジェクトとして仕事をすすめるはずなのに…。何故?と思われるかもしれませんね。

何故か?
簡単です。

本当に各役割のプロが集まって進行するプロジェクトなんてなかなかないというのが現実だったりするからです。

ようは単純に人材不足なんです。ここでいう人材不足というのは、単純に人間の数が足りていないと言うことではありません。プロフェッショナルな人が極端に少ないという意味での人材不足です。営業がディレクションやプランニングを兼務する、逆でディレクターが営業するみたいな本末転倒な事が物凄い現場では普通におこってるんですよね…。

名刺に記載されている肩書きは、ディレクターやプランナーなのに、実際は飛び込みの営業をしていたりとか、営業という肩書きなのに企 画を全部たてて、アートディレクションまがいな事までやりだしたりとか、もう役割が混在しすぎて無茶苦茶な会社の方が圧倒的に多いんですよね…。

仕事もとってこれて、
ナイスな企画もたてられる。
それでいて、ミラクルな進行管理ができて、
サプライズなアートディレクションが出来ちゃう

…………………………。

(#゚Д゚)クワワ!
そんなのスーパーマンじゃん!!
天才だよ!そんなことできたら!!

できるわきゃないんですよ…。そんなスーパーなこと…。
でも会社は何故か営業にそんなことを求めるのです。
しかも、何の教育もなしに場数をふませれば何とかなんじゃん的なライトな雰囲気で!!

そんなの無理にきまってるじゃん。
いいですか?もう一度いいますよ。
無理なんですよ。そんなの。

当然ですが、そんなライトでアバウトな環境では、そんなスーパーマンは育ちません。物凄い広く浅くの中途半端マンしか生まれません。会社がそんな中途半端マンに権限あたえちゃってるものだから、中途半端マンは若干自分の足下みえなくなっちゃうんです。そうです。ようは勘違いして自分はいけてる!って思っちゃうんです!そうなるともう大変。べらべら適当に口をだしまくりです。

クライアントさんが頼んでもいないのに良い格好したいがために、激列短め納期を自ら進言したり、制作の工程理解できてないのに気軽に見積とか。もう制作の現場は混乱状態ですよ。カオスですよ!カオス!

中途半端マンは自分がいけてると思っているので、制作が納期それじゃできませんよとか、それ外注さんに頼むから費用かかりますよとか進言されると、プライド傷ついちゃって怒り出して、進言をすべて却下というのが定番コースです。それで制作は全く意味のない徹夜をさせられちゃったりするんですよね…。ちなみに中途半端マンはきっちり夜は飲みに行っちゃったりしてリア充を驀進していたりするのでこれ厄介。

そんな中から信頼関係なんかうまれやしないんですよね。
信頼関係が破綻しているのですから、当然仲良くなれませんということになります。

何だか営業さんをかなりdisってしまっていますが、
実はこれ営業さん全然悪くないんですよ

悪いのは会社というか経営者ですよ。間違いなくね。

こんなご時世、一つの仕事とってくるというのは本当に大変なことです。
そんな中、新規で仕事をとってくるなんて本当に素晴らしいことだと思います。

過酷な環境にある営業に営業活動に専念できない環境しか与えず、人の能力に依存し甘え続ける会社が100%悪いんですよね。会社が悪いということは経営者が悪いということになるんです。

営業って本当に大変ですよ。
自分はデザイナーになるための下積み時代は営業でした。
実際に営業をずっとやっていたのでその大変さは理解しているつもりです。

じゃあ、制作って楽なのか??

めっっっっっっちゃ大変です。
徹夜・休日出勤上等のほぼ肉体労働です。
ほんとうううううううに大変ですww

ようは、みんな大変なんですよ。

だから、各役割の人がちゃんとプロと呼べる領域にいかないと本来なりたたないんですよね。
それを強引に推し進めるから、歪みが生まれて信頼関係も構築出来ず仲良くなれないんです。

経営者とか会社は、スーパーマンに任せたいのならスーパーマンをつくる教育環境をつくらなくてはならない。
スーパーマンに依存しないで効率をかんがえるなら各役割に個々が専念出来る環境を提供し、それぞれの分野でのプロを育てていく。

本来はそうあるべきなんですよね…。

営業と制作がののしりあってる現場って少なくないと思います。
そんなの良いわけないですよね〜。ぶっちゃけそんな劣悪な環境から良い作品できないし、それにお金をだしているクライアントさんが一番気の毒です。お金をだしてもらっている以上、きちんと結果を出すのがプロの使命。そこをきちんと見据えた上で組織を構築していかなくてはならないのではないかと節に思う今日この頃でした。

そしてこの課題をクリアしていく上で重要な、各セクションの相互理解と経営的な組織作りという事については、また長くなってしまうので、別の機会に綴りたいと思います。

環境がひとをかえる。

(旧ブログからの転載記事)

今日は、経営者の一人としてちょっとおもったことを書いてみます。

よく人に「社長やれていてすごいね。ぼく(私)もしたいけど、今はとてもできないな。」といわれます。この言葉は、もちろん褒め言葉なので素直に嬉しく思います。 でも後半の「自分にはできないな。」という言葉には違和感を感じたりすることがあります。

わたしたちの業界には、フリーランスで活動しているデザイナーさんなど、たくさんいらっしゃいます。上述の言葉はフリーで活動しているクリエイターさんによく言われることがあるんです。

何故違和感を感じるのか??

それは、簡単です。
私自身、社長は誰でもなろうと思えばなれるのだ。
そう思っているからです。

社長になろう。
会社をつくろう。

そう決心した瞬間、誰しもが社長になれると思っています。
資本金規制がなくなるという会社法に変わった昨今、物理的な要素でもそういう仕組みになっているので、意外に簡単に会社をつくることができます。

純粋に起業だけを考えたら本当にびっくりするくらい簡単です。
それでも、起業できない人は、何がネックになっているのでしょう。
それは、ずばり「会社を維持し続けられる気がしない。」そういう感覚をもつことで腰がひけてしまう人が多いのではないかと感じています。

ちょっと視点をかえましょう。
会社というのは、基本的にゴールはありません。
事業を続ける限り、維持しつづける努力を皆でし続けなければなりません。それは二代目、三代目になっても一緒なのです。だから「会社を維持し続けられる気がしない。」という発想はちょっとずれているということになります。維持し続けられるか?ではなく維持するためにがんばろうなのです。

起業した人で、ずっと上手くいくことを最初から確信をもっている方は少ないと思います。ほとんどの方が、そこには不安を感じていると思います。でも、上手くいかないという発想も持っていないんです。矛盾するかもしれませんが、上手くいかせるためにがんばろう。それしか考えていないのです。

この差は非常に大きいのです。
そもそもの基本的な考え方の上で、上手くいかせるためにがんばろうがあると非常に俯瞰的な意識も芽生え、視野が広がります。それに伴ってどんどん価値観も変わり不思議と感覚が個人主義から会社という組織を起点に物事をとらえるようになっています。

そういう状態で出す言動が、もしかしたら特別な能力を備えている人というイメージを醸し出すのかもしれません。これは大きな誤解なのです。見ている視点が違うだけなのだと思います。特別なことではありません。

何が言いたいのかというと、そういう環境になれば自然とそうなるのが人間だということです。環境が人をかえてくれるんです。

だから、自分の意志で起業した人であれば、その強い意志から生まれた環境によっていろいろな変化が生まれ、自然に社長としての言動がでてくるようになるということです。

わたしは、社長が出す独特の感覚や能力というのは最初から持っている才能でなるのではなく、その環境に飛び込んだ人が、環境から学び身につけた能力だと確信しています。

為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり

本当昔の人はよく言ったものです。
まさにその通り。

何となく自信がもてなくて起業したいのにフリーから、法人成りになれない方。
もし起業が目標であれば、起業のタイミングというのは自分で決めた時だけだとおもいますよ。まっていても、タイミングは絶対にきません。それだけは間違いないと思います。

とにかくがんばってみよう。最初のきっかけはそれで十分だと思います。

もちろん税金のことなど、経営をするためには、いろいろ知っていかなくてはならないことはたくせんありますが、一番大事なのは、やっぱり自分の気持ちです。フリーランスで立派に生計をたてているのであればがんばれるのではないかなと思います。気持ちの持ち方一つです。

環境が人を変える。
そんな感覚を楽しんでみるのもいいと思います。

もちろん、今日の日記は起業したい人に限ったメッセージです。
起業だけが人生ではありません。
フリーが本当にベストと考える方は、無理に考え方を変える必要はないと思います。
そこに優劣はありません。

再三言う通りで、自分がどうしたいか。
本当にそこだけだと思います。

デザイナーとしての喜びとは。

(旧ブログからの転載記事)
前回の日記「良いデザイナーでいるためには」の続きです。

長く良いデザイナーであり続けるには自分の良さをたくさんつたえてもらうこと。

そう前回の日記で書かせていただきました。
これを実現するには、心から信頼できる人とデザインの話をするということが前提になってしまいます。デザインという、特殊な世界のことがある程度わかり、心に届く会話が出来る存在。考えただけでもハードルは高いですよね

簡単にはやっぱり見つからないかもしれませんね。
でも地道に探していけば必ず、いると思います。自分から探さなければ見つからないということも確実にいえると思います。

ただ、それ以外にもたくさんの心に残る言葉というのは、デザイナーはもらっているんです。でも、そういう言葉が自分の中で時間と共に風化してしまっているんです。これを思い出すことが出来るだけで、かなり自分の歩んできた軌跡というものを信じていけるのではないかと思う次第なのでした。

今回は、そんな何気ない言葉に焦点を絞って綴りたいと思います。

わたしは、会社員の時から比較的規模の小さな会社に勤めていたのと、現在の自分の会社もひっそりと経営しているということもあり、今まで協力させて頂いたクライアントさんは非常に規模感がばらけています。上場企業もあれば、一人で経営されている個人会社などなど。本当に十人十色のケースでお手伝いさせて頂きました。

比較的小規模で経営されている、会社さんのグラフィックを担当させてもらった時、とても素晴らしい言葉をいただけました。

「家族によろこばれたんだよ〜」
「お父さんの仕事ってかっこいいんだね。っていわれちゃったよ〜」
「子供が喜ぶと嬉しいよなあ。小さい会社だけど、がんばってきたかいがあったなあ……。」

そういう言葉を頂いたことがありました。そして、
「本当にありがとう。お願いしてよかったよ。」
と言っていただけたのです。

何気ないエピソードなんですけど、わたしの記憶には鮮明にこの時のことが残っています。役にたててよかったなと、今でも思い出すと強くそう思うのです。本来、プロというのは作ったものが何らかの成果をあげなくてはなりません。そしてその成果というのは、クライアントの経営戦略によって導きだされているのが通例です。

でも、こういう役立ち方というか貢献の仕方もあるんだなって、そのとき思えたんです。社長さんのメンタルケアになって、気持ちよく仕事をしてもえ、結果業績アップにつながるのではないか。そんな感覚を持てたんですよね。

そう思うことで、本当に何気ない会話の「感謝の言葉」が、私の中で大きな価値をもったものとなりました。言葉は、ちょっとその裏にあるストーリーを感じてあげるだけでこれだけ大きく価値が変わるんです。

プロにとって、感謝の言葉というのは、最高の「褒め言葉」なんです。

素敵な褒め言葉を風化させないために、そのバックヤードを感じてくれるといいと思います。そうすることで、しっかりと自分の記憶に刻まれて、苦しくなったときや迷ったときに自分の功績を振り返ることが冷静にできるようになると思います。

プロとして歩んできた時間というのは、必然です。
積み重ねの時間には、きっとたくさんの真実があると思うので、そんな宝物を大切にしていってもらいながら、日々の激務に立ち向かっていってもらえたらと思う今日この頃です。ちょっとおやじくさい日記でしたw

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JkZero7

Art Director & Graphic Designer
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グラフィックデザイナーをしています。
日々の出来事や思ったことをゆるめに綴っていきたいと思います。

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