2011年7月28日。
僕にとってはとても忘れられない日になりました。
大好きなアーティスのレイハラカミさんが急逝されたという訃報が入ってきたのです。
最初にその情報を見たのはTwitterでした。ハラカミさんは一昨日まで元気につぶやきを投稿していたので、悪質なガセネタだと憤っていました。でも、だんだんその情報の信憑性が高まってきて、とうとうオフィシャルの発表となり、ハラカミさんが亡くなられたという、信じられない現実をつきつけられることになってしまったわけなのです。ブログを書いているこの瞬間も、その現実がリアルでなく何ともいえない喪失感で一杯です。
皆さんそれぞれ、憧れを抱いていたり、絶大な影響力をもっている方というのがいらっしゃると思います。
僕にとってレイハラカミというアーティストは、その絶対的な存在の一人でした。
僕はグラフィックデザインの仕事をしています。
かれこれ15年以上、デザインの仕事を続けさせていただいています。こんなに長く続けてこられた要因として、僕がいつも感じていることというのはテクノとかエレクトロと呼ばれる音楽が与えてくれた力をはずすことができません。
僕は若い頃は、凄く頭でっかちなデザイナーでした。
知識がなければ良いデザインはできないとか、プロとしてのルールを踏襲しているものが良いクリエイティブ。
おっ!と思うパンチ力のあるデザインでも、あらを探してプロのルールに準拠していないからダメなクリエイティブだとさげすんでしまう、デザイナーなら誰もが通るであろう、 良いものはどんなものであれいいものなのだと簡単に思うことができない、病気に完全にかかっていました。
当然そんな病気にかかった状態は、精神的に窮屈で、そんな中でデザインをし続けるというのは本当に自分の持久力との勝負という消耗戦になっていたと思います。凡人の僕が場違いに一回賞をとってしまったということも、その病気に拍車をかけてしまい、とにかく自分は良いクリエイターでなければいけないと極度の緊張状態に自らを落とし込んでしまっていました。なので、あの状態が続いていたら恐らく僕は、この仕事やめていたと思います。当時は苦しいだけで何も物づくりの楽しさがわからなくなっていましたので…。
そんなときに、たまたま周りの仲間達がテクノの音楽とかを教えてくれました。
何となく興味をもつことができたのです…。そこでいろいろきかせてもらって、体に電撃がはしるほど衝撃をうけたのが、レイハラカミさんの音楽とOrbitalの曲でした。音楽をきいてあんなに情景がリアルにみえることがあるのかと、心の底からしびれてしまったのです。
自分は音楽オタクではなく本当に何の知識もありません。
だからレイハラカミさんの音楽とかの何が技術的に素晴らしくて良い曲なのだということをジャッジすることはできません。
でも、直感的に本当に“良い曲”と感動している自分が間違いなくいたのです。
よくわからないけど、とにかく良い!素敵だ!と思ったのです。
こういう感覚というのは、当時の僕からすると考えられない発想でした。常にクリエイティブを判断するのは知識とか自分のもってる情報を尺にあわせてジャッジするという病気にかかっていたので、そういう直感で喜ぶという、人としてごくごく自然な感情を失っていたのです。
そっかぁ。本当にいいものって理屈ぬきでいいもんだよね。
何でなにから何まで理屈でジャッジしようとおもっていたのだろう?と、何気なしに自分のおかしい部分を受け入れさせてもらうことができました。
これって本当に僕にとっては革命的な出来事だったんです。
それからは、良い意味で力を抜くことができるようになって、明らかにデザインに対する取り組みも、デザインの質もかわりました。
だからこの年齢でも若い子たちにまじって現場にいられるのかなって思います。
いまでもずっと、つかれたらハラカミさんの音楽きいて、脳みそをトロトロにやわらかくするというのが、僕の日課的になっていました。
ちっぽけな自分という存在ではありますが、僕という一人のクリエイターの物語を語る上で絶対にはずすことはできないの人物の一人がレイハラカミさんだったというわけなんです。なので、今回の訃報というのは悲しいし、本当に喪失感もあり、何か説明できない感情でいっぱいです。
ひとつだけはっきりいえること。
日本が世界に誇ることができる才能のひとつが、また逝ってしまったということ。
大変な損失だと思います。twitterで、同業の方だったり各クリエイティブ業界の大物たちが本当に残念がっているという光景を目の当たりにしました。一流は一流を知るというやつですよね。まさにその損失の大きさを痛感しました。それを見てさらに喪失感が大きくなりちょっと仕事がてにつかず、思わずブログを書いてしまっています。
レイハラカミさんの曲をレコメンドするときに、僕は、とってもみずみずしい宇宙旅行ができるよといいます。
ちょっと、頭がおかしい表現ですが、きいてもらうとその情景がくっきりとみえると思います。
プラネタリウムでレイハラカミさんの曲が採用されていたのは伊達ではないというところが一瞬でご理解頂けると思います。
そんな表現が通じてしまうクリエイターは、そんな簡単に現れないですよね。
素晴らしい才能に出会うことができたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも微力ながらではありながら、素敵な影響をたくさんもらえた恩返しに、精一杯デザインを頑張りたいと思います。
乱文ですみません。