2011年 3月 の記事

大震災から2週間

東北地方太平洋沖地震から丁度二週間が経過しました。
こんな濃密な二週間があったでしょうかというくらい濃密でしたね。

なかなか進まない被災地への救済。
ボランティアや寄付の混乱。
原発の状況は一進一退。
不謹慎不謹慎と殺気立つツイッター。
東京はとにかく節電しつつも、消費を多くして経済をまわせ指令。
電力不足による計画停電。
トイレットペーパーなどの日用品の買い占め。

そして、とうとう水からヨウ素が検出されたとして、水の大量買い占め…。

いやあ、本当に二週間しかたってないの?
っていうくらい濃密ですよね。とにかく大量の情報を流し込みすぎて頭は混乱気味ですw
昨日くらいから、情報を意識的にとりこまないようにした生活にして落ち着きを取り戻しているところです。

前回の日記で、今回は人の弱さについて綴りたいと書かせて頂きましたが、正直時期尚早かなと思い控えていました。こちらに関してはまた別の機会に少しずつ綴れればと思っています。

では、今回のテーマはというと、ずばり「経済活動」です。

東京はというと、被災地の方々がいち早く元通りの生活をおくれるように、きちんと援助が出来る体勢をつくっておかなくてはならないという大きなミッションを遂行しなければなりません。きちんと援助出来る体勢。つまりお金などの寄付が継続的に出来る経済力です。

東京で働いている方々は、連日テレビで放送されている被災地の悲しみの深さや被害の大きさなどを目の当たりにして、それぞれが「よーし!やるぞ!」と一念発起していると思います。自分もそうです。

ただ、当たり前のことではありますが、生産業をはじめ、全国各地で色々と用意された材料をつかわなければ動かせないものも沢山あります。たとえば、水を入れるペットボトルのキャップだったり、印刷するための紙やインクだったり、東北地方で生産されているものは数えきれません。そういった部品や材料不足は、じわじわとボディブローのように様々なところに影響を与えていて、皆が一生懸命急いで仕事をまわそうとしているわりには、どの業界も停滞しているのが実情といえると思います。

僕の身近でいうと、やはり印刷用の紙不足とインク不足です。これは両方とも東北地方に依存しているので致命的とも言える材料不足の状態で、デザインは出来上がっているけど印刷が出来ないから、仕事自体が飛ぶということも実際におこっています。早速弊社でもそういう事例がたった二週間の間に起きています。

あとは、電力不足という部分もかなりじわりとボディブロー的なダメージを東京には確実に与えていると思います。まず交通の麻痺が与えるダメージは甚大でしたよね…。それに加えて計画停電。僕らの仕事はパソコンがないと何も出来ません…。そういったところにとても無力感を感じています。ただ、そうはいっても仕事を頑張らなければならないので、通常通りに仕事しています。ただ、停電や節電の事をきにしていたりすると全く仕事に集中できなかったりと、なかなかリズムがつかめなかったりしてるのも現実としてあったりしています。人が電気を使っていない時間が一番安心して仕事が出来て作業がはかどるという、非常にアメージングな心理状態になっています。当然この生活は更に睡眠時間などを削ることになるので、長く続けられるわけありません。何とかしなくては…と真剣に方策を検討しています。

エネルギーの大切さを思い知らされる毎日ですよね。
電気がなければ本当に人間は何もできないんだということを自分も良くしることができました。

上述のように、実は東京は持久戦に入ってしまっていると思います。
不謹慎モードがそれに拍車をかけていますよね。
何でも自粛が当たり前の状態なので…。
恐らくどの企業も大幅な売り上げ減はさけられません。
向こう半年くらいの運転資金をもっていない中小企業は殆ど潰れてしまうのではないかなと思います。
生き残るのは、この我慢比べに耐えることの出来る体力をもっている企業だけだと思います。

そういった現実を受け入れて、先手先手で動いていかないといけないなと、ここ数日とくに思っています。
何とか苦しい日本の役にたちたいと思っている経営者さん多いと思います。自分もそうです。

でも今はとにかく、このサバイバルな消耗戦に負けないようにスタッフや協力してくれる皆さんと頑張って生き残り、そして、被災地の復興であったり日本の経済の役にたてるようにがんばりたいと思います。がんばるぞ〜〜!!!

最後に、会社としての寄付はもちろん、被災地への復興支援など、継続的にできることを検討しています。
これは、準備が出来次第また発表しますね。

ではでは

東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日。
皆様ご存じの通り東北地方太平洋沖地震がおきました。
まずは、被害にあわれて亡くなられた全ての方に、謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。

未曾有の被害を生んでしまった今回の大地震。
大変な数の犠牲者が生まれ、たったいま、このときも多くの方が行方不明であり、救助された方も極寒の夜の中、寒さに耐えながら避難所で生活しています。そして、原発の暴走をくいとめるために命をかけて戦っている方もいれば、命がけで救助にあたっている自衛隊などの救助隊のみなさんがいます。

少し当時を振り返らせてください。
地震がおきたそのとき、僕は事務所(東京都内)にいました。

ガタガタっと音が聞こえましたが、
ここ最近地震が多かったので、何気なしにしていました。

ところが、みるみる揺れは大きくなっていきました…。
一気に事務所の本棚にしまってある本がくずれはじめ、ガダガダガガとそこら中で異音が聞こえてきました。

僕は生まれも育ちも東京だったので、大きな地震というのは経験がなく、今回の地震はあきらかに今まで体験してきたものを超えた地震でした。正直身の危険を感じる地震ははじめてでした。慌てて出口を確保しようと玄関に向かいましたが、揺れで上手く歩くこともできず廊下の壁にぶつかりながら何とかドアを開けました。あけた後、体勢をくずしドアに挟まれてしまい、後はそのまましばらくゆっさゆっさと揺られていたら、揺れが収まったという感じでした。

揺れが収まってから事務所の中に戻ると、本・資料やらCDがそこら中に散乱していました。
80kg以上あるレーザープリンターも大きくズレ落ち、外付けのHDDなどは一瞬で諦めるほど散乱していました。

何となく途方に暮れていると、矢継ぎ早に余震がやってきました。
気持ちを整理するタイミングはなかなかできなかったなあと、いま思い返しています。

そんなパニックの時を経て地震は収まりました。
ホッと一息ついていたら、携帯電話から異音がしました。緊急警報のアラームです。
大津波がくるから気をつけろと書いてありました。

大津波??

意味がつかめないまま、事務所のテレビをつけながらTwitterに目をやると、どうやら宮城県で大地震がおきていて大津波警報がかなりの地域ででているということがわかりました。NHKでも同じようなことがいっていました。

実はこのあとの記憶あまりないんです…。
覚えているのって、津波に飲み込まれている町をただただ呆然とテレビで眺めているところからなんです。

恐らく上述から20〜30分はたっていたのだと思います。
パソコンに向かっていたのか?
事務所で誰かにはなしかけていたのか?
見事に覚えていません…。

記憶があるのは、そのあと度重なる余震に恐怖しながら、テレビで流れる衝撃的な光景…。

町が水にみるみるのみこまれている映像…。
これ、映画だよね?とききたくなるくらい衝撃的な映像でした。

まあ、その衝撃度は皆さんご存じの通りですよね。

なぜ、こんな些細なことを日記にしているのか?

それは二つの理由があります。
ひとつは、上述の通りで自分の混乱している記憶を整理整頓するためです。
もうひとつは、人間の弱さについてふれたかったからです。

今自分で日記を書いていて思うのですが、自分は東京でしたので震度は5+で、そんなに大げさにいうほどのものじゃなかったんですよね。普通の地震よりもちょっと大きくてびっくりしてしまっただけだと思うんです。宮城や茨城といった震源地や津波の被害をもろに受けた東北地方の皆さんにくらべれば、たいしたことなさすぎて、途方にくれてしまっていた自分が心から恥ずかしいくらいです。家も無事でちょっと部屋がちらかったくらいで、いい大人がびびりすぎだろうと今でも思います。でも実際は本当に怖いと思っていました。

自分の中に刻まれた心の恐怖心を整理をする前に、もっと強烈な現実をまざまざと見せつけられ、なんて全然恵まれている環境にいる自分が恐怖しているなんて自分はどうしてこんなに情けないんだろうと…うちのめされたところから結構記憶が残っています。

スタートがこんな精神状態だったので、その後の心理はもうぐちゃぐちゃだったのはいうまでもありませんね。
でもそんな情けない感情を体感したからこそ、人間のもろさみたいなものは強烈に感じることができたとおもいます。

とっても尻切れトンボで申し訳ないのですが、詳細はまた次回にさせてください。

次回は日本人特有の心の落ち込みについて綴り、おそらく自分と全く同じことで悩み苦しい想いをしている人の役にたてればと思います。
またすぐ次の日記かきますね。

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JkZero7

Art Director & Graphic Designer
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日々の出来事や思ったことをゆるめに綴っていきたいと思います。

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